自分のできないことを認める

成長するためには、自分が出来ていない事を認める事が一歩目だなと感じました。
が、できないからやらないと選択すれば、成長には繋がらない。
できない事を認めた後に、やってみようとなって初めて成長への道のりを歩み始める事ができるように感じています。

ふと耳にした哲学者ソクラテスの考えの基本と言われる「無知(不知)の知」という言葉を思い出しました。ソクラテスさんが仰ったのではなく、それをプラトンが「ソクラテスはこう言っていた」と説いたものだったと言われているようで、私の「いいとこどり」なので、切り取りの解釈でしかないのですが。

その人と対話をしていて私にはこう思われたのです。
「この人は、他の多くの人間たちに知恵ある者だと思われ、とりわけ自分自身でそう思い込んでいるが、実際はそうではない」と。
私は帰りながら、自分を相手にこう推論しました。
「私はこの人間よりは知恵がある。この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。どうやら、なにかほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で」と。(『ソクラテスの弁明』の訳本より)

「自分は知らない(無知の知)」と言う前提に立つ事で、だからこそ知ろうとすることや学ぶことは自分がすること。さあ、何を知らないのだろうか。知ったとしたらどうしたら良いのかを考える事に繋げていく事ができるから、「知らない」と言う前提に立つ事が大切と説いているのだと思います。
その反対は、知っていると思えば、それ以上知ろうとすることもしないだろうという事なのだと私は考えています。

自分は知っていないんだ、わからないんだ、できないんだ、と言う事を認めることに抵抗がある人も、「自分は知らない」と言う前提に立ってしまえば、認める事も容易にできるようになるように思います。

ついつい知ったつもりになってしまうこともたくさんあります。できないこともあります。でも、それを認めて、次につなげていく事ができたらいいなと思いますし、人間関係も「相手を知らない前提」に立てたら、結構聞くのも興味津々で聞けるように思います。

哲学と言うモノに関して、凄く抵抗感があった私でしたが、ふと「無知の知」と言う言葉を聞いて、誰がどんなタイミングで言ってくれて、こんなに広まり定着したんだろう?と思い探してみたら、行き当たったソクラテスさんの言葉でした。
本当に知らないことばかりだし、「苦手」と思うだけで抵抗していたんだなと思いました。

さすが哲学なだけあって、色んな場面で私の尽きない好奇心の源になっている言葉です。
コーチングでも、相手を知ったつもりにならない。
職場でも、私はみんなの事を知らないと言う前提で関われる。
講師としても、日頃のみんなを知る事はできていない。と言う前提で前に立てる。

それによって、好奇心もわき、できないことをできる人を観察もし、成長に繋げていける気がします。

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