正論だけでは人は動けない事もある

語弊があるかもしれませんが、「正論だけれどそれだけでは人は動けない事もある。」という事を以前の職場で学ばせていただきました。

「動かない」ではなく「動けない」と言う点です。
「〇〇したあとに、××するだけだよね。これだけなのに、どうして出来ないんだろう。」と心の中で思ったことがありました。そう思ってしまうと、できない度にイライラしてしまうのです。

顔に出さないようにしていても、何気ない態度に出てしまうようで、直属の上司に「イライラしているねえ」と突っ込まれた事があります。
突っ込まれたら、その人が居ない時に「〇〇して、××するだけなのに、凄く遅いんですよ。時間でやっていく仕事なので、これ以上教えようもないし、気長に待つんですけれど、他の仕事は全部私がやるしかなくて、結構きついんです。」と正直に話すと、上司がこんな事を伝えてくれました。

「うんうん。正論だよね。本来はその人にその業務をしてもらうために働いてもらっているのに、仕事も満足にできないのはねえ。でも、その分smilecoachさんが気づいてフォローしてくれるんだから、結果として上司からしたら、上手くいっているように見えちゃうんだよ。smilecoachさんの正論は、違う目から見たら『何を一人でカリカリしているの?』って見えちゃうんじゃない? 正論は一つじゃないから。」と。

えっ。言われたらそうかもしれませんが、カリカリしている私がおかしく見えちゃうなんて理不尽だなあ、と最初は思いましたが、冷静になればそう見えるのも仕方ないなあと。

だとしたら、その部下の正論は何だろう?
カリカリしている私が聞いても話してくれないかなと思い、何気なく上司に聞いてもらいました。

すると「私が仕事が遅いのは解っています。でも、工夫のしようもないところなので、お客様を待たせちゃいけないから早くやろうと思うと間違ってしまう。その上、遅いのでsmilecoachさんに任せっぱなしの仕事もあって悪いと思っています。そう思うほど緊張して、また間違えちゃうんです。」と上司に伝えたそうです。

上司は、「1回が遅くても、間違えないように入力した方が、結果としては突合の回数が減るから早くなる。とにかく慌てずにやろう」と伝えたそうです。

次の日から、少しずつですが突合回数が減っていくのは解りました。
仕事の仕方への正論ではなく、緊張して間違いが起こるという事が解ってあげられなかったために、その人は「動けなくなっていた」のでした。その方も解っていたのにできないもどかしさを一番感じていたのでしょう。

それ以来、自分の正論がイライラの原因にもなりえるし、相手の正論や「動けない理由」を知ろうとしないと、正論を押し付けたところで上手くいかないんだと知りました。
と言うよりも、頭では解っていたんです。まさに私自身も、リーダーになりたての「リーダーはこうあるべき」などを持っていて、自分自身がうまくやろうとし過ぎて、相手を見ていない状態。「リーダーとして動けていない」状態になっていたのではないでしょうか。

そうした時代を経て、今の私が居ます。
役割や責任を外せば、他の考えも浮かんだでしょうに、自分自身にも正論を押し付けようとして、私らしく動けなくなっていた時期があったからこそ、
そうした「正論」に縛られていないか。
周りに押し付けていないか。
そのことでお互いに動けなくなるような感覚になっていないか
を問えるようになりました。

曲げられない事もあるけれど、柔軟に捉えても良い正論というものもあるのかなあと私は思います。

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