やれない宣言

知らない間に、表現は違っても「やれない」宣言をしていることってありませんか。

「難しい」からやらない
「できるかもね」でも私はしないけれど・・・
「分かるけれど」やらない

思わず使ってしまいませんか、こんな言葉たち。
後ろに続く言葉は見えてなくても、感情は伝わってきます。

個人の事なら「ああ、でもやらないんだな」と思うだけで終わることもありますが、仕事だとそうばかりは言ってられないことがあります。

発想の転換で、一つでもできることって何か。小さな一歩でもやれる方法はないか。
こう考えたら、何が生まれるでしょうか。

苦しくなる瞬間があるかもしれません。けれども、悩んで悩んでみつけた結果は、どんな結果であれ、その後の更なる成功に結び付けていこうと発想できるように感じます。

ある職場を訪れたときの事です。
日常的に「○○だからできないよね」「それは難しいよね」と、やらないための理由をいっぱい聞かせてくれました。本当にハードルは高いんだなあと理解はできました。けれども、それでは変わらない宣言をしているだけで、その苦しい場面を変えていこうという意思は全く感じられませんでした。この人達だったらできるはずなのに・・・。

そんな思いで聞いてみました。
「小さいことでもいいので、一つだけ何かを試してみるとしたら、どんな事ができますか?」
すると、ちょっとだけならという事で、6つの対策が出来たのです。すぐに可能な2つはすぐに動かれました。一つは成果に結びつかないことでしたが、やってみたもう一つが、ちょっと変われそうな様子を見せたのです。すると、俄然やる気になって、次の日には出来ていました。

やらない!と決めた時と、やってみようと思えた時とでは、全くその後の言葉も思考も変化してしまうのだなと感じた瞬間でした。

あなたが自分に言い訳していることを、ほんのちょっとだけ変えるとしたら、どんな事を試してみたいですか。

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