似た人との声掛けと、違うタイプの方への興味

先日、私が「似ているなあ」と思っている方とお話しをしました。その方が体調を崩されていたことを知り、私も体験したことのある事だったので、思わず声をかけていました。

良く知っている方だからという事もありますが、お互いに「無理している事に気づくのって、何か起こってからだよね」と笑いあいました。しかも、「辛いときほど、気を使わせたくなくていつも以上に明るくしちゃうよね。smilecoachちゃんを見ててもそう思うよ。」と。

なぜか解ってくれる人が居る事に目頭が熱くなりましたし、反対にその人が明るいのはやっぱり今本当は辛いって事なんだなあ。と。
きっと気づかれたくない時期だろうなと思いましたが、「体調の悪い時ほど元気にしちゃうのも私達らしいけど、こういう時は自分に優しくしてあげたいですよね。」とだけ遠回しに伝えました。
きっと気づいてくれたんでしょうね。「ありがとね。お互いに気を付けようとすると周りに目が行っちゃうから、体調が悪い時だけは自分に優しく、だよね。そうだよねえ。」と。

似ているからこそ、言葉の行間を読むこともたくさんありながらも、お互いに「解ってくれる人だなあ」と思いあえている事を感じ取りました。少しでも良いから、その方がゆっくりできるといいのですが、その方の事だから、頑張っちゃうんだろうなあ。
人の事を言えないからこそ、調子悪い時に、解ってくれてセーブさせてくれる人の存在は大きいです。

相手の事を解ろうとすると、仮に違う思考の方であっても、少しは相手の事を理解し、伝わる言葉を発せられるようになるのでしょうね。
似た人と接したからこそ、違うタイプの方への理解を深めたいと思うことの重要性に改めて気づかされました。

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