過去に縛られなくても、過去は大切にしたい

今までの事が無駄ではなかった、と思う瞬間ってないですか。
小さな事だと、最近、お願いされて証書書きをしたときに、子供が「お母さん、上手いね」と言ってくれて、成長してどんどん私を蔑むような言葉を吐いていた子が尊敬の言葉を伝えてくれた事に、ああ字を習っていて良かったと思いました。

そういう事もですが、お世話になった人は、今疎遠になっていたとしても、私に影響を与えてくれた大切な方だと思っています。だから、その方の悪口を言っている人が居ても、共感することはできないんです。何度も「そう思うでしょ」と言われても、そうだねとは言えないし、反対に「それはこうじゃない」と反論してしまいます。

過去に縛られる必要はないと思いますが、過去を否定したくもない。特にであった方々で疎遠になっていても、影響を下さった大切な方々です。

さすがに、最近強く同意を求められた時には、「私は〇〇で支えてもらった大切な人ですから、私には今がどうかも解りませんし、同意はできません」と伝えました。相手もそれ以上は「そうなんだね」で終わりました。

これを伝えるのは、子供がある時期お世話になったけれど、その後にある出来事がきっかけで嫌いになっちゃった人を、他の人の前では言わないけれども、親である私には話してくれて、嫌だと言うのです。「でも、〇〇の頃には支えてもらったよね。それを忘れて欲しくないな。」と子供に伝えました。
私の思いでしかないのかもしれませんが、子供には、感謝を忘れる人にはなってほしくないなと思ったのです。自分の価値観でしかないのかもしれませんが、子供とのやり取りがあって気づいた事でした。

過去を大切にするのは、「感謝を忘れない」という私の価値観かもしれません。
それ以外の過去は、どんどん書き換えて、成長していきたいと思います。

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