当事者意識を持つことの難しさ(続)

昨日(2011年1月11日)のブログで、お話した事の続きです。というよりも、この事を自分のコーチとお話をしました。

私は、基本的にコーチは一人なのですが、他の目標があるときにはその事に対してのコーチを依頼するようにしていて、現在私には二人のコーチがついています。
(これだけでも、何でもできてしまう気分になれるほど心強いのですよ)

そのお一人Iコーチとのセッションがありました。
その際の最近の出来事について話したものとして「当事者意識」の話しをしたのです。すると、Iコーチが「その事を自分の事として捉えて対応したのだから、充分に当事者意識があると思いますよ。それがアカウンタビリティといわれるものです。本当に当事者意識をもてない人は、何か起こった時にすぐに被害者になるのです。」と仰いました。

興味が湧いて、もう少し言葉を加えて説明してもらいました。
つまり、自分の責任にならないために、思い通りに行かないことは常に周囲の責任にしてしまい、自分は被害者になってしまうのだそうです。そうすることで自分を守り、人を批判して何も変えられないままで、人が変わらないことにずっと文句を言って終わってしまうのだ(私の聞いていての解釈含む)とお仰いました。

被害者という言葉で納得できたのは、私がたまに「はいはい。私が悪いんでしょ。全部私が悪いんです」と理詰めで怒られたときに「私が全て悪いって事にしたいならすればいい」という思いで被害者になっていたことがありました。今回の話を聴いていると、その時の私は「ここで私のせいだって言えば、この状況から逃れられる」としか思っておらず、一切変えようとは思っていませんでした。
まさに、自分をこの場から逃げさせて守るための言動でしかなかったのです。そこに本当の当事者意識などありませんでした。

その後に「それじゃ、何も変わらないんだよ!」といわれた記憶があります。確かにその時の私は被害者になっていて、当事者になることから逃げていたのです。
けれど、この事を鮮明に覚えていたのは、きっと私は「それじゃ、なにも変わらないんだよ」という言葉がどこかで気にはなっていたのでしょうね。

その以前の私が、いつ当事者意識を持てるようになったのでしょうか?
いや、もしかしたらまだ私の中にはまだ、そんな私も居るのかもしれません。

けれども、今回当事者意識をもてたのは、昨日と同じように体験から学んだことでしかないと思います。きっとこの事に気付くことから始まるのではないかと・・・。

ですから、昨日に続き書きました。

もしもあなたが被害者になっていることが、あったら、全て被害者から当事者になる必要はないかもしれないけれど、ちょっとだけ、被害者になっているのか、当事者になっているのか、自分の立ち位置を確認してみませんか。

もしも、その立ち位置が被害者で、当事者になってみようと思ったら、少しだけ勇気は居るかもしれないけれど、今まで違ったことが起こることを期待して踏み出してみませんか。
まずは、そう思えたときだけでもいいですから(^^)

私も一緒に意識してみます。

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