コミュニケーションの断絶

SNSが流行ってきて思うこと。
今までは見えなかった「終わり」が見えてしまうことがあるということ。

例えば、LINEなどで繋がっていました。が、何となく距離が置かれているなと思った瞬間、急に繋がらなくなった。
今まで所属していたチームのSNSでのグループが、異動になった途端、外された。など。

リアルだけの対話では、もちろん特に異動の際などは、チームが変われば当たり前の事ではありますが、リアルな場合だと、「とは言っても隣のチームだし、これからも宜しくね」など、繋がりが絶たれたというよりは、違うチームへ移動はしたが、繋がりはある、という状態にも見えなくはない。
が、SNSなどでは、それが顕著に見えるようになったなと思います。

「友達になる」という繋がりで始まりも見えるが、「友達」ではない、ということも目で確認できるような場合もあり、「終わり」が見えるのは、私のような古い考えの者には「断絶」するような、心に棘の刺さるような思いの事もあります。
仕事なら割り切れるにしても、プライベートならなおさらです。

だからこそ、気の小さい私はSNSの場を増やす事をしなくなりました。そっと距離を置く、でもいいのに、なぜ見える形で終わりにするんだろう、と淋しくなってしまうのです。
が、これも「次へ」「未来へ」と言う方に目を向ける人には、敢えてしていることだと言うことも知り、それが悪いことなのではなく、私にとっては淋しいだけなんだと解りました。

最近、コミュニケーションが終わったんだあというのを目の当たりにして、「次に旅立って行かれたんだあ」と思えるまでになりました。が、やっぱり淋しいと思う私が居ます。きっとSNSで「終わり」が見えても、私はたまにその人を思い出すんでしょうね。
そして、次なのか、もっと先でリアルでお見かけしたときに、笑顔で会える自分がいることも想像できるようになりました。

こうした前向きな「終わり」は良くても、けんか別れのように、意見の食い違いから、話し合ってもどうしようもない、となって納得して「終わり」を迎えるのはまだしも、もしかしたら誤解かもしれないのに「断絶」と思える終わりを迎えるようなSNSの使い方はしたくないなと考えてしまうのは、私だけでしょうか。

何となく「終わり」になるとしても、前向きな「終わり」になるような使い方をしていきたいなと思う私でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました