頼られるのは非常にうれしいです。とは言っても、依存させてしまうのは違うということを感じたのは、リーダーになって仕事がいっぱいいっぱいになった時でした。
それまでは、頼られたら嬉しいですし、何よりも断れなかったので、何とかできるかどうかではなく、何とかすればいいんだ、という思いで、とにかくひきうけていました。
そのままリーダーになり、相変わらず引き受けていると、部下がいつまでも「どうしたらいいでしょう」と同じような事を聞いてきます。そのたびに丁寧に応えていたのですが、仕事が本当に工夫をしても何ともならなくなってから、「それは自分で考えてほしいなあ」と思うことがしばしば。
既に、自分のリーダーとしての能力がないんだなあと感じていた私でしたが、自分の能力は上がってきたかもしれないけれど、部下を育ててなかったんだと、はたと気づかされました。
依存しているわけではないにしても、その状態を作ったのは私自身だと気づいてしまうと、改めて次の人に任せていくことを考えるしかなくなりました。
自ら、「教えて欲しい」と言わない人達でも、「答えは教えて欲しい」とは聞きに来ているのですから、その教え方を変えたらいいんじゃないか。
試行錯誤でしたが、思った以上に、「私ならどう応えると思っているの?」から始めると、よく観察されているなと思いますが、「解っている」ということも知りました。
だったら、そのまま任せてしまおう!
「この部分の判断は任せていい?『どうしましょう』ではなくて、『こうしたいですがいいですか』って聞きに来てもらっていい?」
自分自身も心配だから、確認からスタート。
できる!
何度かやり取りして、「もう任せるね。今こういうことが起こっています。こう動いています。だけでいいよ。」と。
徐々に距離を置いてみると、すらすらと・・・。
更に気づきました。
部下に頼らせるような状況を作って、依存していたのは、実は私だったのではないか・・・。
そのことに気づいた時のショックは大きかったです。
ですが、コントロールできるなら依存とは言いません。常習性があるとしたら、私はまた頼ってもらえる部分を探そうとしてしまうのかもしれません。
だから、コーチを付けて話すようになって、違うところに目を向けながら、コントロールできるようになった気がします。
かなり時間がかかった気がしますが、そのことに気づけて良かったなと思います。
頼られなくてもお節介していれば、それで満足できるようになっていたり、頼られるところに執着しないで、頼りたい時に頼られる存在で居ようとできるようになった気がします。(あくまで自己評価)
きっと、依存させないためには、依存している側とさせている側の双方が変わらないといけないのではないでしょうか。
そんな事に気づき、変えられた今だからこそ話せることです。
コメント