甘えられる場所があるのか

小学校の頃の先生に言われた言葉で、ずっと理解できなくて、心の片隅に棘のように刺さっていた言葉。
「あなたには甘えられる場所はあるの?」

甘えるって何?
どこ?ではなくて、あるか否かって?
みんなはあるの?

色々と頭を駆け巡って答えが出なかったのですが、先生にとっては甘えられる場所はどこかと聞いてみたら「家族かなあ」と。
当時の私は、家族の中でもしっかりしなくちゃ。と思っていたのか、確かに強がっていました。

でも、甘えるって何?

解らなくてずっと残っていた棘。

でも、最近ふと「ああ、甘えたいのかな?」と思える事があって、やっと解った気がしました。
私にとって、甘えるというのは、弱音を吐く事だと思っていたのですが、それよりもっと単純なのかもしれないなあと。

さらけ出すのは、できるようになっています。
けれども、ずっと強がってきたせいで、すっかり本当に強くなってしまったようです。それが本来の私になっているのか、鎧を強固にしてしまっただけなのか解りません。

でも、私にとって甘えるというのは、きっとこういうことなのかなあと言うのは感覚として解ってきた気がします。
それが解ったのは、無理して頑張っている人を間近で見ているからかもしれません。

「無理しないで」と言いたいけれど、気づかれるのも嫌だろうなと想像がつく。私もそうだから。
「充分だよ」と言いたいけれど、そうしていないと崩れる気がしているから、頑張っているんだろうな。私もそうだったから。

結局、私を重ねてみているだけで、本当はどうかは確認もできないです。
けれども、どこかで私に強がっている様子を解ってほしいんだろうな、と感じている気がして、その人にとっては、そのことが私に甘えているつもりなのだろうと思うと、自分を重ねてみて、「気づかれたくないけれど、気づいてほしい」と無意識に出てしまっているものは、私がその相手にだけ見せようとしている甘えている様子なのかと想像がつきました。

解ってほしい、が私にとっての、甘える事なんだろうなあと。

人それぞれ甘え方も、甘えるという意味すらも違うのだと思います。
でも、その言葉を使っている意味を考えるのも、自分を知るということなのかもしれません。

あなたにとって、甘えるってどんな事ですか。

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