一つの失敗が次の行動を不安にさせるのだなあ

先週は、普通に食事をしたつもりが、食後蕁麻疹が体中に出て、お休み中だったので、一人で大騒ぎ。
唇に水膨れのようなものもできるし、救急で病院に連絡した方が良いものかも、コロナ禍ですし医療関係者の方々の負荷が増えてしまうのもなあと思うと、直ぐに連絡できなくて、様子を見る事に。

とは言え、ネットで、何がこのアレルギーを引き起こした可能性があるのか。すぐできる対処法はないものか。とネット上を偏らないように幾つも見て、とりあえず数時間で収まるかどうか怖かったのですが、状況の変化を待ちました。
かゆみは最初よりはおさまってきたけれど、顔がかゆくて何度も顔を洗ってみたり、温かくし過ぎないようにしながら、水分を摂って何とか何とか収まってきました。

いつもと違うものと言えば、山芋を食べたくらいで、他に何かあったか解らない。
だからこそ、次の食事からが、怖くて、今まで食べていたものさえ何かおこるのではないかと怖い思いをしながら、慎重に口にしました。
やっと週末を超え、今日も何か起これば、病院に、と思ってはいますが、今のところは大丈夫のようです。

けれど、改めて、何かネガティブな出来事が起こると、そのあとの行動が、仮に今までと同じであろうと不安になったり、警戒してしまうものなのだなと、改めて知ることができました。

最近は、知人でコロナ禍で大変な思いをした方の話を聞いて、どこか疑似体験していて、すべての動きが慎重になり過ぎていた点もあるかもしれません。けれども、その慎重さが大切な場合もあるでしょうし、何ともこうした場合に当てはめてよいものではないかもしれないのですが、行動しづらくなっているのは確かだなと感じます。

感情や体験からくる不安は、行動の阻害要因としては大きくて、そんなに簡単に取り払えるものではないとすると、どうやったら、不安もありながら、行動をしていけるのか。どう慎重さを活かせるのか、を考えていく必要があるんだなと、改めて感じました。

どちらにしても、食物アレルギーの検査は近いうちにして、自分の事を知るチャンスにしていこうと思います。

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