自然に縛られていることがある

組織に属していると、自然にそのルールに従わなければという思いがあるのですが、それが発想力を奪ってしまう事もあるという事を感じました。

昨夜(2010年12月5日)に、コーチングの指導者の勉強会が電話でありました。その場に参加してみると、自分が自然と捉われていることがあったことに気づきました。

「指導の際は教科書に副って行ってください。」というルールが徹底されていました。そのために、「現状のビジネスでは違うんだよな」「なんか古臭いこと言っているな」などとどこかで違和感があるために、教科書に副って教えることへの抵抗感がありました。そのために教えるのではなく、参加者の経験から引き出していきながら、少しだけ教科書に触れるという方法を選んでいたのですが、どうも「教えて欲しい」という意向を持っている参加者もあり、マッチしない部分を感じていました。

けれども、昨日の勉強会に参加したことで、「今の時代にあったものを扱ってもよい」という発想に変換できました。というのは、その勉強会を担当してくださっていた方自体が、「今はこの教科書は古い。でもそれを現状どうなのよって扱い方もありだよね」とおっしゃってくださったことで、自分の捉われていたものに気づけました。

いいんだ!なら大丈夫!
という壁が一気に消え去った気分でした。
その瞬間まで、窮屈だなと思いながらも、縛られすぎてしまっていることもに気付かずに居たんだなと思いました。自分で気づく事はできない。他の人の言葉を聴く事で気づく事ができるんだなと体験しました。

今日もこれからクラス運営です。
今日はワクワクしています。楽しみます。

あなたは自然に縛られている考え方ってどんなことでしょうか。

コメント

  1. 何の縛りもないところで閉塞感に捉われることってありますよネ。そんなとき、自分を縛っているのは、実は、自分だった。なんてことが…
    この自分による自分への縛りが極端に強くなって、そこから自分の力で抜け出せなくなった状態が「うつ」のような気がします。気をつけるのがなによりです。経験者は語る。f(^^;

  2. coachsmile より:

    ガリレオさん

    そうそう!と納得。今回の件も、縛られているのは自分だし、守らなくちゃって縛っているのも自分なんですよ。
    でも、自分では見つけられなかったりすることがあるから、知らないうちにストレスとなるという事があるんじゃないのかと・・・。

  3. coachsmileさん

    そうですネ。ときどき、別の視点から自分を客観的に観ることも必要ですネ。

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