正当化したいんだ、私

情けないことに、自分は間違ってないんだと思いたいのです。
だからこそ、「○○だから」と理由を探してしまいます。

もう十数年前に言われた時の夢を今でもたまに見ます。
「辛い話をしているわりには、全然辛そうじゃない。笑いながら話しているよ。」と言われた瞬間の自分の表情を見るのです。本当は見えてないはずなのに。
自分なりに本当に辛かったのです。その後、突発性難聴にもなったくらいだから、多分辛かったんです。それでも私は笑っていたそうです。

父や前の職場の社長が亡くなって、人目も憚らず大泣きしました。でも、その数日後には、笑って研修をしていました。
辛いのに、どうして私は笑うんだろう。

強がりたいの?
本当は大したことないと思っていたの?
しっかりしなくちゃ、と追い込んでいたの?
確かにピンチを乗り越えるのは好きだと気づいたけれど・・・。

結局、なぜなのか解らないから、私はずっとその夢を見るのでしょう。私はどういう顔をしていたのだろうか。
本当は、その答え以上に、「笑っていたのには、こんな理由があるからです」と、自分を正当化したいだけなのかもしれないなと思いました。
なんともまあ、お恥ずかしい。

けれども、何の解決にもなっていないのに、そう思えた事で、何だか少し心が軽くなりました。不思議なものですね。

その経験もあるからこそ、表面的に笑っていても、本当はどう思っているんだろう?どう感じているんだろう?と思って、話を聞けるようにもなりました。

正当化することに拘るよりも、その時感じた事を受け止めて、今活かせていることの方が大切なのかもしれないと思いました。

あなたも正当化することに拘っていることってありませんか。

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