考え方のシフト

以前から考え方が当たり前のようにシフトしたことがありました。

それは、「相手がどう思っているのか」「相手にどうしてほしいのか」という考え方から、「私に何ができるのか」に変わったこと。

今では当たり前になってきていますが、それでもネガティブになると、すぐに「相手にどう思われているだろうか」と考えてしまいます。
今は、それが悪いことだとも思わなくなりましたが、そればかりではだめだなと思ったことがあったのは、もう20年近く前の事になるでしょうか。

「会社で必要とされてないんじゃないか。」
「嫌われているんじゃないか。」
と思って、凄くネガティブな思考しかありませんでした。
が、一歩進んだのは、私自身が、同じような思考の人にかけた言葉だったのです。今思えば、その方に出会ったこと自体に感謝です。

私から見たら、お家柄も、頭の回転も良くて、周りの人を気遣う思いやりもあって、凄く素晴らしい方に見えました。
なのに、「生きている価値もない。」「私の存在自体が邪魔なんじゃないか。」「迷惑ばかりかけてしまう。」などなど、周りに見せるのとは違う心の内側を吐露してくれた時に、「ああ、一緒だ」と思いました。

きっと、その人も私ならわかるんだろうと思って話してくれたのかもしれませんが、私と同じだとしたら「そうじゃないよ」と言われたところで、心には届かないだろうと思いました。

そこで、「相手の事を気にかけられるからこそ、人を傷つけることも、人を支える事も、下手したらまとめることさえもできるんじゃないでしょうか。」とお伝えしました。ネガティブだからこそ、最初のひとつ目をネガティブな表現で・・・。

すると、少しの沈黙の後、「そうなのかもね。」と仰ったんです。
その様子を拝見し、自分が発した言葉だけれど、反芻するように、自分にも聞かせたかった言葉だったのかもしれないなと思い、自分自身も、相手を考え過ぎちゃうことを活かそうと思えるようになりました。

すると不思議な事に、「私を認めてもらおう」と必死になっていたところから、「こういう状況の相手に、私ならこんなことしかできないけど、できるのかなあ。」と考えられるようになりました。

自信はないけれど、動いてみる。

「ありがとう」と言ってもらえることもあるし、言ってもらえない事もあるけれど、自分の中で、邪魔になっていない事は確認できました。それが嬉しくて、「私に何ができるんだろう」が頭の中で考える大切な問いになったように思います。

伝えた人とも、「あれからちょっと変わった気がする」「私も自分で言いながら、私も変わったみたいです」と会話を交わし、へこんでいる時には支え合えるようになったような気がします。

最近、メンターからの宿題で、「あなたを支えてくれる人を100人書き出してみよう」というのがあります。
100には遠く及びませんが、思った以上に、私はたくさんの人に支えていることを感じる事ができています。

お家にいる時期に私は何をできるんだろう。

家族との散々関わってみています。
オンラインでも繋がっている仲間とも話もしました。これからの話もしています。
在宅でも繋がっているお客様と、お互いに高め合える話ができています。気持ちの共有もちゃんとできているんじゃないかと感じています。

たくさんの支え合える仲間がいるから、私の考え方も変える不安より、挑戦する楽しみを感じられているのかもしれません。
根っこは変わってないのかもしれませんが、考えれば考えるほど、周りからいただいていることの多さに気づきます。

私に何ができるのだろうか。

きっとその大きな根っこは、周りへの感謝なのかもしれません。
目の前にあるのは、
「おかげさん」
「感謝、感謝、全てに感謝」
「ありがとう」
って言葉がなぜかたくさん飾ってあることに今気づきました。

考えを変えるって安易ではないけれど、一人じゃない事を感じると、怖くないんだなあ。
そして、支えてくれている方々に、私はいったい何をお返しできるのだろうか。何もできていない気が・・・・。

まあ、私らしくゆっくり、少しずつ。
それでよいのかもなあ。

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