人を育てることも試行錯誤

人を育てる場面に直面することが多くなって、思う事があります。本当にこの人達が育つという事はどういうことなのか。いまだに試行錯誤の中、毎日が自分の勉強でもあります。

教えることと、考えさせる事の両方が必要だと思いながら、子育ての中でいつも「何がこの子にとって望ましい状態なのか」を自問自答しています。たぶん、「これが正解!」というものがないからこそ、世界中に多くの教え方や育て方があるのだと思います。その中で、「どう育ってほしいのか」なのか「この子らしく育つためには」なのか。

企業であれば、「こう育って欲しい」という思いがあって研修が行われていると思います。だからこそ、人材像があってこその育成なのでしょう。しかし、私が関わる人達は、それぞれの理想があり、それぞれの人材像を持ち、それぞれの世界で活躍されている方々だったりします。子供もその中の一人なのでしょう。

では、その中で私なりに毎回自問自答することにした言葉とは何なのか。「この人を尊重できているか」「この人が今学べているか」というすごくシンプルな自問自答です。研修の設定の段階では「この部分を学んでほしい」という思いは当然入ります。しかし、当日は、そこに居る人達が学べる環境を造ることなんだと、昨日の投稿したことも含めて考えるようになりました。

しかし、多くの問いかけは、研修の内容に集中できなくなる可能性も秘めているため、シンプルな質問だけを自分の中でするようにしています。「1対多」ではなく、あくまでも「1対1」なんだと感じてその場に居ます。迷いは一切ありません。

とは言え、アンケートをいただく場面では、どんな事をこの人達が学んでくれたのか、自分が伝えたかったところは伝わったのかが、気になります。そこに改善の余地を見つけられたら、更に良くするために改善していく。つまり、人を育てるはずの私が、参加者から育てられている場でもあるのです。だからこそ、相手を自然に尊重できるようになったのかもしれません。教え方・育て方についての参加者の感想が、私をまた育ててくれる糧になるのです。

こうして、日々人を育てる事にも試行錯誤の毎日です。

資料がイマイチ!と言われ続け、資料が素晴らしい人の研修に参加してみたり、直接教えていただいたり。
あの部分の話しがわかり辛いといわれ、どう伝えたら分かりやすくなるのかを考え、次に試してみたり。
もっと大切な言葉はメモをしたいからゆっくり話して欲しいと言われ、そうだよなと思ってゆっくり話してみたり。

でも、全てを聴くわけではなく、私の意図が別のところにあることであれば、「そう受け取る人も居るんだな」という事を理解するだけに留まることもあります。
しかし、伝えてくれた言葉が私を育ててくれていると日々感じています。

私の育成は、「その場だけで終わりにしない」という事が根底にあります。ですから、たまに懇親会に参加させていただいて、「こういう事をしてみたら、こんな成果が出たんですよ」「今までこうでしたが、明日からこうやってみます」なんて、成果や明日からのイメージをもって活き活きと話されている様子を拝見すると、この仕事に携われてよかったといつも感じます。

コーチングは「教える」ではなく「見守る」なのかもしれませんが、コーチングでの成果もまた伺えると幸せに感じます。

でも、感じたのは漠然と変わりたいと思っている人も含め、一歩を踏み出す事が全て育成なんだろうなと最近思えるようになりました。失敗も多いに結構。そこから学べる事の方が「何となく成功した」という人よりも意味があるように思います。

私も、数多くの挫折や失敗をしてきたからこそ、今の私が居ます。
ある人に「なんでそんなに心が広いのか」と聴かれたことがあります。広いのではなく、いっぱい挫折を体験したからこそ、相手を本気で信じられるようになっただけだと自分では感じています。
時には、心が広いフリをしてみたら、相手の態度が代わり、そこから信じてみれば相手は育つんだなと後から学んだこともあります。

「これが正解!」というものがないからこそ、相手にあった育成方法は人の数だけあるのだといえるのかもしれません。これが正解だと信じる人も人の数だけあるのかもしれません。しかし、正解を探す時間があるのであれば、相手にあった人それぞれの携わり方を、これからも模索していきたいと私は思います。

それらを概念化したものが、先人の言葉にあるのであれば、本は沢山読んでいきたいと思います。

育てられる側だけではなく、育てる側も日々勉強なんですよね。

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