厳しく言うのではなく、対等に伝える

指導の際、あるいは自分の思いがある時で相手と考えが違う際、上下関係があり、自分が上だと一段と「教えなくちゃ」と思うのかもしれません。
けれども、相手の考えを聞いてみることも大切ですし、その上で、「厳しく」言う必要があるのか、最近疑問に思います。

打たれ弱いなあと思う方々が増えると、自分の打たれ強さは「強み」になっていることに気づきます。
その上で、同じことを求めるのではなく、相手に合わせるのでもなく関わる事はできるのか。

色んな場面で試してみたのですが、相手が知らない事は教える事が大切だなと思います。
けれども、考えがあってしていることを否定されると、反発するだけではなく、「やらされた」「言われた」という感覚しか残らない事が解ってきました。

となると、どうするのか。
「厳しく言えない」という人も同じ罠にハマっていると思います。
厳しく言う事が大切なのではなく、相手の言い分もあり、自分の言い分もある。けれども、今どちらが良いのか、あるいは他の方法が良いのか、を一緒に考えるスタンスが求められているように思いました。

同じ時に「私ならこうするな」という意見も参考になるし、そもそも「上司がこうしたいのはなぜか」を聞けたら腑に落ちるように自分でも思います。
となると、対等に議論をするという事が必要なのかもしれません。

昨日、Aさんに「Xをしたい」と言われました。けれども、私としては「Xをするには、段階があるが、Aさんはまだその段階にないな」と思いました。その思いをそのまま伝えたら抑圧です。

Aさんに、なぜ今Xをしたいのかを聞きました。
すると、Bさんもしているから。と。Bさんと同じレベルにあると思う?と聞くと、「でもやりたい」と。こうなると根拠がなく、「いいな」と思うからやりたいと言っているように聞こえてきました。
そこで、Aさんに「Bさんに、Xを私がやることに対してどう思うか聞いてみてから考えよう」と持ちかけました。

すると、Bさんは、そのXをするにあたり、結構大変だという事を語ったのでした。
結果として、Aさんの「やりたい」という思いは、少し収まり、「時期を考えてみよう」という事になったのでした。

私も、ただただ思いを押し付けず、良かったなと思いましたし、最初に「私は今はまだ違うことを大切な気がする」という事も伝えていたので、それが伝わってよかったなと思いました。先の話をするにも、「違う事はないか」を一緒に考える機会にもなりました。

厳しく言うことも時に必要なのかもしれませんが、お互いに納得が行く着地点を探す話し合いって大切だなと感じました。

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