母のやさしさ

昨日はお盆で、お寺さんに伺いました。
お盆は本当に30分刻みで念仏を唱えていただき、たくさんの方々と座敷で正座をして時を過ごしますが、足のご不自由な方のために、椅子も多く置かれています。
そこで、改めて母の優しさを垣間見ました。

私も膝を痛めているので、母と共に、運よく椅子に座れました。
念仏を唱え始める前に、段取りの説明が少しありましたので、段取りの説明に集中していると、母が隣から話しかけてきました。
「ねえ、あそこで立っている人。きっと膝が悪いんだと思う。椅子に座りたいんじゃないかなあ。」と。

ふと母の見ている方に目を向けると、一人のお年を召した女性が、廊下よりも外の縁側の所に立っていらっしゃいました。座る場所がないわけでもないですし、確かに母の言う通りかもしれません。
母は膝が悪く、全く正座ができないので、何となく同じ境遇の人の事が解るようです。

気づいてしまうと、これから念仏の間、膝が悪いのに立っているのも辛いだろうなと思って、声をかけに行きました。
私 「もしかして、膝がお悪いですか。」
女性「ええ。正座ができないものですから。」
私 「私、椅子に座っているのですが、もしよろしければ、座られませんか。」
女性「そんな、いいですよ。遅く来ちゃったものですから。立っていますから。」
私 「私も膝が少し悪いので、立っているのが辛いの解ります。是非座って下さい。」
女性「良いんですか。ありがとう。」

女性は、母の隣の席に向かうと、母は私の荷物をすっと自分の手元に寄せて、「こちらへどうぞ」と、女性を案内していました。

私は、自分が膝が悪いのに、立っていらっしゃる方に全然気づけませんでした。でも、母はすぐに気づいてましたし、私に「譲ってあげたら」とも言わず、私が譲るであろうことも解っていたように、私に話しかけてきました。
帰り際、母が「あなたの膝は大丈夫だった?」と私を一言気遣ってくれたのは、母らしいなと思いました。

母は、集団疎開で岐阜に来て、こちらで小さいときから知る人も居ないのに、すっかり馴染んで、私が知る限り、周りに嫌われる人ではない。きっと今回のような何気ない優しさが、ずっと母を支えてきたのだろうし、周りにしてきたから馴染めているんだろうなと客観的に考えてしまいました。
何より、ああ、この母の娘で良かったな、と思いました。

父も母も「人に尽くす人になってほしい」と言うだけでなく、ずっと周りの人達にそうしている所を見せてくれた人だったと私は感じています。が、お盆の昨日、改めてその場に立ち会って、まだまだ父や母のように自然にはできないなあ、と見せつけられました。

父がこの世に帰っている今、「まだまだだぞ」と教えられた気がしました。

母親にも気づかせてくれて、ありがとうって言いたい。ありがとう。

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