「今」を扱うことしかできない

今朝は、コーチとのセッションもありました。
バタバタしていて、本当に停滞している感覚があったので、この感覚から抜け出したい思いで、あまりポジティブでないテーマについてですが、コーチングをお願いしました。

最近の状態を話しているうちに、
「ストレスを感じているみたいだけど、『でっちあげ』でもいいから5つその要因を言ってみて」
新鮮な問いに、「そんなにストレスは感じてないけど、あるとしたら・・」と一つは上がりました。
でも、「でっちあげでいいんだよ」とあと4つ、ない、という答えは許されないままでっち上げているうちに、結構気にかかっていることだと思えてきました。

そりゃ、耳鼻科に通わなきゃいけない状態になるよなあ、と思いながらも、脱したい思いを告げると、
「今、どんな問いが浮かんでくるの?」
「自分になんて声をかけているの?」
と聞かれると、本当に自分を卑下する言葉ばかり。
実際に思っている自分と、人前の自分にギャップがありすぎて葛藤してもいました。
今の仕事を続けてもいいのだろうか、と自分のことを貶めてもみました。

けれども、結局好きだから続けているんでしょ?と言われると、関わった人が元気になるのが嬉しい。役に立てているのが嬉しい。と声も明るくなっていくのを自分でも感じました。

不思議なもので、自分にかける言葉が変わるだけで、前を向ける気がしたのです。
でも、悶々としているから、それは書き出してみて、捨てることにしました。

その後、コーチと振り返って話したのは、コーチングは「目標は?」って聴くけど、「あれしたい、これしたい」って言うのは、その時の気持ちなんだから、結局、今、停滞期の話をしたいと思ったのも私。目標自体よりも、目標を語っている今、
その人がなぜそう思ったのか。
どうしたいと感じたのか。
なぜ、今なのか。

全部、今なんだよなあ、という話をしました。
今を扱うことで、過去も未来も違って見えてくる。不思議なものです。
今、語るって大きなことなのでしょうね。

コーチングの凄さを改めて体験した気がします。
今日からまた出張。
でも、メンテナンスも午前に終わり、ちょっと元気に出発したいと思います。

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