誰が望むものを提供するのか

あなたはどんな連休をお過ごしでしょうか。
平成から令和への元号の移り変わりを大きいこととして感じていらっしゃる方も多いのかもしれませんが、お恥ずかしながら私自身は、何ら変わらない日々を淡々と過ごしております。
次に出会う人のために何ができるのだろうかと。

本当に自分で、私って何が楽しくて生きているのだろうかと考えてしまいます。
昨日、買い物に行きました。けれど、買うものは「娘にこれは良いんではないか」「これは研修で使えそう」「これは○○さんに」など、人の物ばかり悩んで購入しようとしている自分が居ることに気づきました。

結局、買い物が終わってみたら、私自身のものは何一つ無くて、笑ってしまいました。

そんな私が、反応することがあるのは、相手に対し精一杯関わったつもりが、そうでないと解ったとき。嫌われることが嫌なわけでもなく、自ら嫌われ役をしていることはあります。けれども、それは最終的に相手のためになると信じているからなのですが、そうでないと解った時には、本当に申し訳なさしか残らない事があります。

その時ばかりは、自分を反省し、落ち込みます。

直すにも、感情だけをぶつけられてしまった時には、その時は平気にしていても、後から周りの私を知る人に確認してみます。
そんな時に、「その人にとっては受け止められなくても、他の人との関わりで学んでいるならそれでよし。smilecoachさんを気に入らなかったとしても、その企業の方にとっては、喜ばしいことであれば、それが一番なのではないか。だって、その人と関わるのは、企業のためなんでしょ。そもそもその感情を抑えられないのは、企業人として未熟なんじゃないかな。いづれにしても学んでいればOKなんじゃないの?」と。

言われてみたら、自分をどう変えていけば良いのか、と考え始め、自分に焦点が向きすぎていたのかもしれません。
自責でとらえる事は必要だとしても、そもそも誰が望むものを提供するのか、なんですよね。
私としては、関わる人にも企業にも望まれるものを提供したい、という欲を持っていたのですが、どちらかにしか提供できないとしたら、どちらなのか。です。
相手が嫌いだから聞かないのではなく、嫌でもその場で関わって学んだものがある、と言ってくれたならそれでよいのかな。と今は思います。

ただ、やはり欲張りなのでしょうね。
これからも、相手にも依頼者にも望ましいことを提供できることを模索し続けようと今は思っています。
模索し続けても、優先順位が間違ってしまわないように、その点だけはその都度、確認しあっていきたいと考えています。

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