タイミングは人によって違う

面白いなあと感じたのは、私はすぐに動いてみたいと思う方ですが、それでも動けないことがあります。じっくり考えてから動きたいこと。
それは、自分の中では、影響が大きいと思っていることだと思います。
それ以外は、とにかく動く。それが私らしいのかなと思います。

しかし、その動き出すタイミングというのは、人によって違います。

以前、私にとっては「放っておいたら大変なことになるから、すぐに動き出そう」としているのを、「いや、もう少し様子を見てみましょう」と仰ってくださった方がいらっしゃいました。

この方は、とにかく私を制して、じっと待ちました。とは言え二日間ですが、私にとっては「事態が悪化しないかと思ってヒヤヒヤしていました。」
けれども、その方は、2日経ってから、「そろそろ動きますか」と、動き出したのです。この二日間に何があったのか。今何が違うのか。全く私にはわかりませんでした。どちらかというと、私には事態が悪化しているようにみえたので、「動くなら早い方が良かっただろうに」と思いながら、事態の収拾にあたりました。

事態が収拾し、少し落ち着いた頃に、改めて聞いてみました。
「ところで、あの二日間待った意味は何だったのですか。」と。

その方は、「私達が気づいて収拾しなくとも、自分たちで気づけるのであればその方が良い。少し気づける人が居るのか。それに対し、どう動くのかを見てみたかった。」とおっしゃいました。
その間に事態が悪化してしまったことに対し、私は「事態が悪化してしまったら大変なのに、2日間も放置するのは、違うと思う」と怒ったのでした。

けれども、事態の悪化を放っておける限界が二日間で、多分三日間放っておいたら、事態は収拾できなかったかもしれません。
その二日間で、気づけたことはあったのかというと、「気づいて居そうな人」は少数ですが、居ました。けれども、そのために動いた人は一人も居なかったということは解りました。

そう思うと、あの後、その方は、少数の人に声をかけ、動き方などを伝授するために、事態の収拾の際に、その気づいた人たちを一緒に動かしていました。
ただただ、私達で収拾するだけでなく、巻き込み方を教えているようにもみえました。

それから数年が経って、たまたまそのグループにお邪魔したら、当時気づけた人たちが、いつの間にかリーダーになっていました。
「何かあった時に、どう動いたら良いのかわからなかったけど、数年前の事件の時に、動き方を教えてもらったおかげで、なにかあったら動けるようになりました。おかげで、今、リーダーができていると思います。」と仰ったのです。

ああ、私は「気づいて居ても動けない人」と決めつけてしまっていたかもしれないけれど、あの時、私と共に事態の収拾に動いた人は「気づいたけど動き方が解らない人」と捉えたんだろうな、と。

数年経って、やっと気づいた私。
まだまだ決めつけていることに未熟さを感じました。また、育てる前に自分が動こうとしてしまったのは、まだ若かったのかなあとも感じます。

人を育てていくために、今何をするのか。
常にその観点で考えるようにしなければならない年齢になってきたのかなあと思いながら、改めてその時のあの方に怒ってしまったことを恥じました。
これもまた「いつか私なら気づくだろう」と思ってくれたのかなと信じて、この数年かけた教育を、大切にしたいと思います。

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