問題はそこじゃないかも

ブログを今週は少し休んでみようと思いました。
仕事がいっぱいいっぱいになって、少し休もうと思ったのですが、どうも違うらしい。

何にも考えずにいる時間は、毎朝5分~10分位ですが、持っています。
ボーっとする時間というより、瞑想の時間で、自分の中では本当にすっきりする時間でもあるので、大切な時間です。

きっと、ブログを休まなくてもその時間でリセットできていたのに、うまく瞑想ができてなかっただけなのだと感じました。

その時間があれば、ブログの時間は内省の時間になっていて、私にとって非常に大切な時間だったのだろうと思います。
土日はいつも休むので、その延長で休むと長く休んだつもりになっています。

すると、内省の時間だったブログを書く時間は、言語化しないで内省をするか、内省すらしないようになります。
休もうと思ったのだからそれもありなのですが、どうも「次のステップに進む」という感覚が持てない。私の中では、きっと内省の時間としてのブログを書く時間は、大きな意味を持っていたんだという事に気づく事ができました。

しかも、ブログを休むのは、頭を整理したり、空っぽにする瞑想の時間が上手に活用できてなくて、書く内容が上手く言語化しづらくなっていただけなのではないかと気づく事もできました。

今朝、瞑想の時間が上手に活用できなくて、10分以上もモヤモヤとしている時間が続いた後に、やっとうまく瞑想ができました。
すると、ブログに言語化しようと思う気持ちがわいてきました。

忙しいからだと思い込んでいたのですが、休んでみた事で、ブログ自体が問題ではなくて、その前の瞑想の時間が上手くできていなかったことの方が問題だったのだと気づく事もできました。

今、目の前で起こっている事が問題だと思っていても、本当は他の部分に問題があることを勘違いして、思い込んでいた目の前の事を改善しようとしてみるのだけれど、その改善をしてみることで、あれ?と思う事もあれば、考える事で気づく事もあります。

公私ともに動いていたい私にとっては、忙しいことが問題でもなく、ブログの時間が問題でもなく、本当は、癖づけていた一旦空っぽになる毎朝の5分~10分位の時間が、うまく活用できていなかったことが問題だったことに休んでみて気づきました。

改善するときに「やめてみる」という選択肢も意外に有効なのですね。
今までも何度か休んでみたけれど、今回はちょっと違う思いができたように思います。
気づけて良かったです。

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