始まりって大切にしていたんだけれど・・・。

今朝、思い込みが一つ外れました。ずっとずっと小さい頃から口癖だったこと「朝くらい気分良く始めさせてよ」
きっと今でも大切にしている思いです。けれども、ふと今朝、ひらめきのように感じました。

考えたというよりも、感じたという方が良いくらい、それはふと現れた「あれ?」という感覚でした。
今朝、子供をいつものように玄関で見送りました。その時に娘がまるで名残惜しそうに何度も何度もハイタッチをしに戻ってきました。娘が朝から甘えたい時は風邪気味のことが多いので、今日もそうかなとふと優しい目になっている私を娘は感じていたんだろうなと思います。(勝手な思い込みですが・・・)

そんな時にふと思い出したのが、中学の頃の思い出です。朝なかなか起きない私達に向かって、母が遅刻させないようにと何度も怒っています。「朝くらい気分良く居させてよ。」と毎日のように怒鳴る母に、毎日のように思っていた独り言。自分に向けられているならまだしも、妹に向かっての怒鳴り声だから私には何ともならない。妹に「お母さんがうるさいから早くおきてよ」と言うのが精一杯だったのです。そうしているうちに父も母の怒鳴り声が嫌になり、「うるさい!」と一喝。その後、また静かな時間が過ぎていく。

そんな毎日の中で、一日の始まりは笑顔で過ごしたいものだという私の思考は当然のようになっていったのです。それは一日に限らず、1ヶ月、1年、何かを始める時など、まずは良いスタートをきることが大切。そう思うようになったのです。

でも、今朝その事を思い出しながら感じたのは、結局私が「朝から怒鳴るものじゃない」と思うから気分が悪くなるだけで、本当は母の「遅刻しないでね」という愛情だと思えば、ありがたいことだったのではないだろうかと。怒鳴ってくれる人が居なかったら、もしかしたら妹も遅刻ばかりしていたんじゃないかと。とは言え、怒鳴る声はあまり好きではないのだけれど、別に朝だから嫌なわけじゃなくて、いつも嫌なんですよね。たまたま毎朝だったから、勝手に結びつけてしまっただけだったんじゃないかと。そう思うと、始まりが良くなくても学校に行けば、また学校生活を楽しんでいたし、決して朝や始まりが大切なわけじゃない。結局は、自分の受け止め方一つだったんだなと思いました。

ただ、最近良く伝えているように、お互いに影響を与え合っているという事を知っていることは大切なのかもなと思えるようになりました。

昨日聴いた講演のせいだろうか?そう考えてみたけれど、違うんですよね。今朝の出かける時の娘が教えてくれたように思うんです。私が家族に接するときに大切にしていることがあります。家族に限らずではありますが、毎日接する家族だからこそ、意識するようにしていることがあるんです。

  1. 笑顔で送り出すこと。 なぜなら、今日送り出した後に何が起こるか分からない。最後の一瞬になるかもしれない今だったとしたら、笑顔を残したい。家族が病気になった時にこの思いは強くなりました。
  2. 必ずどんな気分であっても明るく挨拶すること。 挨拶をすることで元気になれることもあるし、声を出すと、気になっていたことも全部声になって出て行ってしまう気がするから。これは中学の頃にいじめられていた頃に始めて、息をはきながら話すことで、リセットするイメージが私の中に出来ているから、家族への挨拶で朝は必ずリセットできるんです。そうすると、それを受け取ってくれた家族に「挨拶させてくれて、リセットさせてくれてありがとう」とおいう気分になれる。

結局、人のためにしているのか自分のためにしているのか分からないけれど、はじめを大切にしているというよりは、その一瞬一瞬を大切にしたいんだろうなと娘の表情を見ていて感じたのです。何度もハイタッチをしに戻る娘を何度も笑顔で送りだしました。次の瞬間も、また次の瞬間も、最高の笑顔で。

二つの家族への意識も、結局は思い込みにすぎないと思います。けれどもいい思い込みならどんどん続けていこうと思います。「これが最後の一瞬だったら?」という問い自体はネガティブなのかもしれない。けれども、生きているのは当然だ!って思えないんですよね。この思いが、きっと私の「じゃ、今日できることは?」「あの人に私ができることは?」「今やりたい」と思わせてくれる原動力になっている気がします。生まれた瞬間呼吸のなかった私が、1時間もの周りの人のあきらめない気持ちのおかげで、この世に産声をあげたときから、私は「運よく」生きています。だから、始まりが大切なわけじゃなく、一瞬一瞬が大切なんだよな。

今日もそんな一瞬一瞬を過ごします。そして伝えられる思いは、伝えていこうと思います。回りの人が伝えたい思いもしっかり聴いていきます。

あなたは、こうしたことを読んで何を今、感じていますか。

コメント

  1. 冨田就将 より:

    5年前(もう5年になるんだなあ)他界した母のことを思い出しました。父は単身赴任中で高校受験のため1年間だけすこし勉強しました。母は何もいわずただ隣室で起きて編み物をしていました。3時就寝7時30分起床でしたが、母は僕が寝るまで起きていて朝は朝食を用意してくれていました。何も言わずほんとうにただいるだけでした。16歳から親元を離れ以降両親と生活をともにすることはありませんでしたが、ずっとつながっているように感じます。振り返るとムスメも17歳から親元を離れカナダ・マラウィ・カナダ・英国・カナダ・スーダン・カナダで16年間暮らし、夫とも5年間の結婚生活のなかで別居生活が4年という、なんだか親子ともども同じような家族との距離感を繰り返しているなあと感じました。

タイトルとURLをコピーしました