ふとした承認

昨日まで、岐阜県には大雨特別警報が出ていました。
地域によって差はありますが、私の地域では大きな被害は今のところ耳にしておらず、ただただ大人しくしておりました。

そういう時だからこそ感じる事はあるものですね。

私も「○○県で地震」「○○県で大雨」と聞くたびに、あの人は大丈夫だろうか。と思い連絡を取ることがあります。
すぐに知りたくても、普段連絡を取っていないと、「緊急で連絡を取らなければならない人との連絡の邪魔をしちゃうかも」と思い、時間をずらしてみたりすることもありますが、気になる事をそのままにしておけず、メールで邪魔にならない程度に連絡をとることがあります。

でも、今回は逆に、「岐阜県」ということもあり、多くの方々にご心配をおかけし、たくさんのご連絡をいただきました。ありがとうございます。

連絡をいただいた時に、思わぬ方々からご連絡をいただくと、「覚えていてくれたんだ。」という喜びもありました。
「大丈夫?」
「そっち雨がひどそうだけど、大丈夫?」
「岐阜って聞いたから心配になって・・・。」
などと、お声をいただくたびに、「ありがとう」という思いが溢れてきました。

ふと自分の事を覚えていてくれるという、大きな承認をいただいているように感じたんだと思います。

いつの頃だったか覚えていませんが、仕事をする中で「考えている、思っているというだけでは伝わらない。ちゃんと見える形にしないと伝わらないよ。」と言われたことがありました。
それ以来、「心配ならそれを伝えよう」と思うようになっていました。伝えようとするのに、どこか「迷惑じゃないか。邪魔じゃないか」とネガティブだった私は考えてしまっていましたが、「思っているなら伝えた方が気持ちがすっきりする」ということをその時に体験をしました。

しかし、ある時、「こういう時しか連絡くれない人から連絡きても、携帯の電池を消耗するだけ。本当に心配してくれているなら、時期を考えて連絡してほしい。」と報道番組の中で言っている人を見て、受け止め方が様々だなあと、また迷いが起こるようになりました。

それでも、やっぱり心配なんです。
だから、ついつい聞いちゃうんです。もしかしたら、今じゃないかもと思う時には、多少時期をずらしながらでも。(多少、報道番組での被災者のコメントに影響はされてますね。)

今回、心配をしていただける立場になってみて、その渦中ではあってもゆとりがあるからなのかもしれませんが、やはり嬉しかったです。
覚えていていただけることも。
心配をしてくださることも。
岐阜で私を思い出してくださることも。

今回体験したからこそ、これからも声はかけていきたいと思います。その後にできることがあるのかどうかはその時、状況によるのでしょうが、声をかけられる事のありがたさを感じて、やっぱり声をかけることが悪いことに思えませんでした。

忘れずにいてくれる。
それがどんなに心強いのかも感じました。
だからこそ、遠慮なく声をかけたい。心配なら言葉にしていきたい。そう思いました。

今日からまた出張が続きます。
そこで出会う方々との出会いも大切ですが、出会った人達とどうつながっていくのか。
それは、常日頃じゃないとしても、何かあったときに、存在を忘れていない事、それを形にしていけること、それだけでも大きいのかなと感じました。

そう思って、これからの出会った方々との繋がりも一段と大切にしていきたいと思います。

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