小さな遠回りの一歩から

語彙力が低いなあ。

若者のことを言っているのではないです。私自身です。私自身の語彙力が低いんだなあと感じる事があります。
だからこそ、相手の発したその言葉も、使い分けができなくなっちゃっているのかなあと感じたのです。

例えば、「不安」と「怖い」と「心配」

既に、例えば、という言葉さえ浮かばない。
けれども、それぞれ違いがあって、前後の状況を踏まえると違うこともあるだろうに、一人で納得して解ったつもりになってしまっていることもあります。

「解ってないのに頷いているでしょ!」と言われることが、普段の会話の中であります。
どこかで「相手の言っていることが全て解るわけではないけれど、相手が話したいことを話させてあげたいな。聴いていたいな。」と思うことがあって、流れを止めるのが嫌で、頷いている事があります。
だから、解ってないと言われれば、分かった気になって聴いている事も多い気がします。

けれども、コーチングの時には、相手が話したいことを話せているかもそうですが、「こだわっているのは何か」「具体的にどういう事を聴くことも意味があるのかも」と思って、聴くこともたくさんありますが、自分が聞きたいことというよりは、その人の考え方や拘り、思考の癖、みたいなものも感じ取りたくて、普段の聞き方と違う部分が気になってしまいます。

その一つが、語彙。
よく使う語彙だけれど、どういう意味として使っているのかを聴くと、自分が想像しているものと違っていることもあるし、「怖い」という人に対して、怖い状態を具体的に聴いていると、怖いというよりも、不安?心配?あれ?どっちかだけど、そもそも私が解らないぞ、と思ってしまい、きっと大切なポイントだろうに、質問することを躊躇ってしまう、という事もあります。

帰ってから、改めて辞書をひいて、なるほど!と思う事もあれば、代わりの言葉さえ浮かばなくて、辞書が引けないことも・・・。

もう少し語彙力があれば、相手の曖昧な部分を確認して、前に進むエネルギーに変換できるかもしれないのになあ、と反省することもあります。

そのために、私は忙しくて後回しにしていた積読を極力ですが、読むようにしています。
とにかく文字に触れること。
こうしていくことで、語彙力を高めて、サポート力を強化したい、と思うのです。

ほんのほんの小さな一歩に過ぎませんが、きっとこうして「出来てないなあ」「足りないなあ」と思うことを、これからも一歩一歩だけれど、一生続けていくのでしょうね。というより、ずっと成長し続けていたい私が居るのでしょうね。

今は遠回りでも、たくさんの文字や言葉に触れていこうと思います。

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