全て出来るはずない

親だから、全て出来る
先生だから、当たり前
コーチだからコミュニケーションが得意
それらって本当でしょうか。

おわかりのように、違います。

全て完璧にできるって皆無からこそ、敢えて「完璧」って言葉があるのかなって思ってしまいます。
「かんぺき」の「ぺき」って、お恥ずかしいですが、今年初めて「壁(かべ)」ではないと知りました。

仲良くさせていただいている先生に、「ぺき、の下は玉なんだよ。」と教えていただきました。
「水晶の玉」のことを言うそうです。
「完璧」というのは、「完全に無傷で、しかも完全なるまん丸な状態の水晶の玉」の事を表しているんだよ。と伺った時には、なるほど!と感動しただけでなく、今までいかに無知だったのか、を知りました。

「完璧」ってパソコンで打つと「玉」になっている。けれども、そのことに気づいておらず、手書きで書く時には「土」と下側を書いていました。
「知っているつもり」って怖いです。私の研修で手書きの資料を見せてしまっていた人には申し訳ない。
昨年までのものは「土」となっています。

と、言い訳をするためではなく、当たり前に作れるものなら、その言葉さえ生まれなかったろうと思うだけでも、いかに稀有なのかが解ります。人も同じではないかと思います。
「完璧」な人も、受け取り方によっては「取り付く島もない」と言われてしまうでしょうし。

だから、親も、先生も、コーチも、どんな人であれ、「生涯教育」「一生勉強」なんて言われるのでしょうね。
今日は、これから研修があり、毎回初心の気持ちで望んでいるのですが、他の講師の方と接することで学ぶことも多く、今回もそんな機会をいただいた結果を見られる日です。

全てできるわけではないですが、今の自分の最善、最高の状態のつもりで関わってきます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました