自分を題材に学ぶ

自分を題材に学んでいただくことって、自分をさらけ出すことでもあり、正直恥ずかしい。
けれども、たまには自分が題材にならないと、どこか「あなた達頑張ってね」と、「私達」ではなくなってしまうようなイメージがあるのは、私だけでしょうか。

コーチングを始めて既に十数年です。そのたびに「対等」って何だろう?本当に相手と対等で居ることができるのか。など考えてしまうことがあります。それは、特に上司部下との関係であったり、講師参加者の関係であるときです。

正直、全く同じではないですよね。与えられている役割が違うのですから。
けれども、「相手からも学ぶ」という姿勢が、ある意味「対等」を作り上げてくれているように思います。完全な鏡ではなく、偏見を持った鏡だからこそ、色んな部分を強調してみせることができるんでしょう。が、私も同じで、相手からみたら見えているものがあるんじゃないかと。

思い込み、持っている前提、捉え方の癖、価値観、などなど、私にもたくさんあるけれど、見えなくなってしまいます。私にとっての当たり前が、相手にとっても当たり前だと思いこんでしまっていることもあります。

だから、たまには自分も題材になる気持ちで、相手からどう見えているのかを伝えてもらう機会を持つようにしています。

「うわあ、なんて小さい器だろう」とショックを受けたり、「ああ、それって確かに私だけかも」と思う発見があったり、「決めつけてたな」と反省することもあったり・・・・。

本当に自分を見てもらい、口にしてもらうのは、恥ずかしい。
なのに、結構、部下には平気で、「こうだよね」と言い放っている自分が居る事にハッとします。相手が言われた時にどう感じるのか、その体験もし続けないと、言うことに平気になって、言われることにだけ抵抗するようになってしまうような気がします。

柔軟に変化していくためにも、たまには自分が言う立場の人は、言われる経験もしていくことは重要ではないかと私は考えています。
今朝もそんな体験をして、「ああ、恥ずかしかった。」という気持ちもありますが、「また成長の機会をもらえた」という喜びに今は変わっています。

関わってくださった方に感謝しつつ、伝える側が何を気をつけたらいいのかも感じ続けていきたいと思います。

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