1が10?

一人がそう言ったから、全てがそうなのか?
みんなってどれだけがみんななの?自分以外の一人が言えば「全て」なの?
1聞いたら10なのか?

「少し聞いただけで全部解った気になっていないか?」と言われた事があります。
仮にそう聞こえたのでしたら、そう伝わったのでしょうが、それを伝えたのが第三者だとしたら、その第三者もまた解ったつもりになっている同類なのかもしれないと私は思います。

正直、誰かの事を理解するというのは、全部なんてできるはずもなく、多分話を聞いても、きっと体験したことや考えたことのほんの一部しか聞けてないと思います。
しかも、内容以上にその人が伝えたいものがあるんじゃないかなあと思って聞いてしまうので、話してくれている事の全てを把握しながら聞いているかと言われたら、きっとそうでないと思っています。

聴き方でもほんの一部しか聞けてないと思っているのに、あるお客様がこんな事を仰っていました。
「今日は人の話を聴いてみようと頑張ったら、◯◯な人って言われちゃったよ。ショックで、違う人にその時の話をしたら、その人にまで、その人は良く言ったって思います、確かにそうだよね、悪気はないんだろうけど。って言われちゃったよ。どうやら私は◯◯な人らしい。だから、聴くってのは向かないらしい。」と。

「人」って捉えるんだあ。しかも二人の方の話で。
「聴いてみよう」だから、その聴き方自体を変化させたら上手くなる可能性があるだろうに、「聴く」事自体を諦めてしまうんだあ、と捉え方にも驚いたのですが、そういうのって、先程の話のように、日常茶飯事なのかもしれないなと思いました。

そのお客様には、どんな聴き方をしたのか。敢えて、次に聴き方を変えるとしたら、どんな聴き方なら良いのだろうか。と、「人」と捉えるのではなく、「事象」として少し掘り下げてみました。
すると、どんな話は掘り下げて良くて、どんな話はサラッと流そうという具体的な打開策が出てきたのです。

が、ショックだったのでしょうね。「◯◯な人」と言われた事が。。
その感情を吐き出さない限り前に進めないのかなあと思って、その時の気持ちを改めて伺って、これからどうするのかを改めて聴いてみました。

すると、一歩前に進める行動と、こういう場合には止めようというリスクに対しての行動も出てきて、心が軽くなられたようでした。

私自身も、感情を先に聴いていたら、違っていたのかもしれません。
が、お互いに1話したら、それが全てではないですし、1聞いたらそれが全てではないのですよね。
言葉にされてない部分を話したいのか、話したくないのかも含め、「一部しか知らない」「一部しか話せていない」と思って関わる事って大切なんだなあと改めて感じた体験でした。

コーチングの根底でも「知ったつもりにならない」というのがあるような気がします。
しかも、言われた事についても「◯◯な人」って思う人も居れば、そうじゃない人も居ますし、そう思わせてしまったなら、そんな人に見えたのはどういう部分なのかを知っていく必要があるのではないでしょうか。

あなたも1を10だと思ってしまっている事ってありませんか。
もう一度、9知らない部分があるとしたら、それはどうしたいですか。

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