「気持ちが揺れる」のは良いこと

気持ちが揺れるって言うと、悪者のように扱われる事が多いように思いますが、本当に悪いことなのでしょうか。
私は、私自身が優柔不断だからなのか、凄く良いことのように思います。

揺れると言っても、いつもいつも揺れるのではないのではと思います。
けれども、それでも揺れる時というのは、

「数ある選択肢の中から、最善を選ぶ大切なプロセス」だと私は思います。

一度、選択肢を並べて、最善を創ればよいのではないでしょうか。

 

しかし、気を付けたいのは、選択肢を三つ以上持つことだと思います。

「ありか、なしか」

「AかBか」

「やめるか、続けるか」

それ以外に選択肢がないように思われても、他に方法はないのでしょうか。

「AかBか」ではなく、「AかBかCか」となれば良いけれど、Cの代わりに、ちょっと変形バージョンの「A’」でも良いじゃないですか。

最善を選びたいのに、二択で迷っているんだから、もう一個あって、どうしようか、どれが良いのか悩んでもいいじゃないんでしょうか。きっとそれだけ知恵を絞って選択肢を増やしてみて、その中から決断するならば、それはその時の「最善」なんだと思います。それでいいんじゃないかなと私は思えてしまいます。

 

私自身も選択肢が二つだとまさにその間を行ったり来たりして悩むのに、三つ、四つだとその中で、「これがいいかな」というのが不思議と現れます。

まあ、選択肢が10もあったら、更に悩んでしまうのでしょうが、多少の選択肢を広げてみて、絞ってみるというプロセスは、決して無駄ではないと思いますし、むしろ最後にひねり出したものが一番望んでいる形だったりします。

決めたからって、その後にまた揺れることはまた起こるんですよね。ずっと人生の分岐点は続いていく気がします。

 

ふと、揺れている事に不安を持っている人たちに、伝えたくなりました。

私もたくさん悩んでいます。でも、それは最善を選ぶための大切なプロセスだと信じて、悩んで選んで、また悩んで・・・。

何だかんだ言いながら、選択しながら進み続けていけば、意外に最後はシンプルな選択ができるようになっていくんじゃないかと信じながら。。。

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