解って欲しいけど解ってほしくない?

相手を理解するには、言動を観察するものそうだけれど、対話って大切な事ですね。
頭で解っていても、それがすぐにできないこともあります。

なぜなら、「解って欲しいけれど、解ってほしくない」という事が起こるからのような気がします。

例えば、凄く悩んでいるのに、「解るよ」と言われて共感してくれることにホッとすることもあれば、「解るよ」と言われて、そんなに簡単に解るわけがない!と感じてしまうことってありませんか。

特に近い人ほど、お互いに解ったつもりになってしまう事って有る気がします。

「お互いに」というのは、「話してもこう言われるだろうな」「こういう反応が返ってくるだろうな」という事を察して、言わないという選択をして、挙句の果ては「言わなくても解るでしょ」という事もあるからです。

私がコーチングを学んで一番変化したのは、その携わり方だと思います。
相手の言葉だけでないところも理解しよう、判った気にならないで聞いてみよう、と思うようになったのです。
しかし、それは時として「うざい」ようで、私が話を聴こうとすると、今は話したくない、と言われてしまうことがあります。その時は、無理強いしないようにしますが、理解できない事で心配がましてしまうことも多いです。

けれども、相手がまさに「解って欲しいけれど解ってくれない」と感じている時期だろうから、話したくなるのを待ちながら、いつでも話を聴けるようにするしかないのかなと思っています。

きっと何か葛藤しているのかもしれませんし、見せたくない自分が居るのかもしれません。
けれども、そういう時は、それこそ解ったフリをしないで、相手の話したいタイミングを待つしかないのでしょうね。

一時期は「どうしたの?」と散々話させようとしていた気がしますが、今は「解って欲しい」と思う時に話してくれればいいのかなと思えるようになっています。
きっと悩んでいるのは、その人なのですから。私は、単にその様子を放っておくのが良いのかと、おせっかいをしたいだけなので、おせっかいは私の事ではないから、相手の事を待つしかないのでしょうね。

ふと、「解って欲しいけれど、解ってくれない」という状態に触れ、自分の待てる状態への変化にも気付けた最近でした。

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