認めるとは褒めることだけではない

不定期更新の「メモ帳」にも記載しましたが、「認める」とは、「褒める」ことばかりではないんですよね。

この人はもっと出来るはず・・・。
そう思って厳しく関わると、「いじめられた」と辞めてしまうから、どう接して良いのか解らない。という話しを聴くようになりました。

これは、非常に簡単に「こうすればいい」という事があるように思いません。
二人の普段の信頼関係がどのようなものなのか、どのような言葉で伝えたのか。受け取る側がどう受け取る傾向があるのか。などたくさんの事が絡んでくるように思います。

ただ言えるのは、「認める」というのは、「褒める」という事だけではないという事です。反対に「期待する」ということでもないのかもしれません。
本人をしっかり見て、信じて、ここまで出来ると信じる事を「期待」しているのか、目をかければ応えてくれると、自分を信じて、相手に期待しているのかで、相手に伝わるものも違うように思います。

また、一つのことが出来るか出来ないかに期待をしているのか、その先のその人そのものに対する成長や変化を期待しているのかによっても違う気がします。
受け取る側も然りです。

叱られ慣れていない人にとっては、言動を変えて欲しいという事が、言い方によって「叱責」と捉えられる事もあります。なぜ今変えてほしいかを説明すると、「説教された」と嫌がる人も居ます。

育った環境も違えば、考え方も違ってきます。
けれども、お互いに「なぜそんな事を言うのか」「今どう感じているのか」「その先にどんな影響があるのか」をお互いが知ろうとしないのは、悲しいことだと感じてしまいます。

私も良く誤解をされました。相手のために伝えたつもりが「酷い」「そんな事言わなくてもいいのに」「いじめてるんじゃないの」と。
私は、伝え方のレパートリーが一個しかなくて、相手に合わせた伝え方をしていなかったのだろうと思います。
相手もまた、そんな私だから、周りの人がその人をかばう事で、同じように「いじめられているのかな」と思っていたのかもしれません。

もとをたどれば、私とその人の信頼関係が、凄く上っ面だったのでしょう。「知っているつもり」「この人ならこれくらい耐えられる」と勝手に思い込んで、それ以上関わろうとしていなかったように思います。

結局、私は相手を認めていたのではなく、相手が成長するという自分の分析力を信じていただけに過ぎないと思います。結局、相手ではなく、自分を認めていたのでしょう。情けない事です。

そんな私が、私の発想と違う観点で、相手が成長した時に、本当に「凄いな」と思って、そのことを伝えました。相手は、やっと嬉しそうにしてくれました。
私は、褒める回数は意識していたので、多い方だと思っていましたが、それが本心かどうかは、伝わるものですね。口ばかりは駄目だなと思いました。

そんな事があった後に、「◯◯ができたんだから、これも出来ると思う。やったことはないと思うけれど、やってみませんか。」と伝えてみると、「はい!」と嬉しそうに取り組んでくれました。
後から、あの積極的な反応は何だったのかを聴くと、「私が褒めるよりも、これができると思うから、と新しいことをさせてくれたのが嬉しかった。」と言っていたそうです。
期待しているよ!という声掛けではないけれど、相手にはそれが嬉しかったようです。

そして、その時にも気づいてしまいました。
「やっぱり私は、相手と会話をしてないんだなあ。」と。
考えてみたら、直接聞けばいいのに、わざわざ周りに聴くなんて・・・。いかに相手との会話を疎かにしていたのかに気付かされました。

その後、その人とは、かなり会話の時間を持つようになりました。ほんの些細な事でも話す事にしました。「やっと、私の居場所が出来た気がします。」とその人に言われた時、ホッとすると同時に、「今までごめんね」とやっと伝える事ができました。

認めるって、「褒める」という事だけじゃないんですよね。
しかも「褒める」って言葉だけじゃないものも伝わります。
私は、その人とのこの経験があったからこそ、今も信頼関係を作ることは大切にしていますし、言葉で誤魔化そうともしなくなってきました。(もしかしたら、まだしているかもしれませんが・・・)

これから、多くの新人さんに逢う機会があります。
その人達と、どう早く信頼関係を築いていくのか。また挑戦の連続です。
そして、たくさん共に学び会えたと思えた時が、私の中で、その人達を認めている状況なのだろうと思います。少しでもたくさん、新人さんからも学ぶために、少しでも会話をしていきたいと思います。

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