当たり前を感謝できるのか

自分にとって当たり前な事って、正直「当たり前」だから感謝することも、幸せだと感じる事もないです。
けれども、そうでない事が起こった時に初めて「ああ、幸せだったんだな」「有難い事だったんだな」と感じることができているように思います。
何だかそれって残念でもありますよね。もっと前に気づけていたらって。

私だけなのかもしれませんが、きっと多くの人たちが同じ事を体験した事があるのではないでしょうか。

私は、自分の健康を害する時があって、初めて「健康って有難いな」って思いました。
色んな事情で仕事をセーブした時にも「何も弊害がないって本当に幸せなのかも」と感じました。
孤独を感じている時に、ふと声をかけてくれた友達に「有難う」って思いました。

何かがないと気付けないのかなと思うと、少しもったいない気がしている時に、こんな話を聴きました。
「そもそもあなたが生まれたこと自体が奇跡。生まれてきてくれて有難う。産んでくれて有難う。それ以外はもしかしたら、全部欲なのかもね。」と。
余命宣告された方のその言葉は、凄く重く、けれども幸せに満ちた表情をされていて、「ああ、有難うってたくさん思っていたつもりだけど、欲の塊になっていたのかなあ」と考えさせられました。

ちょっとした「奇跡」の積み重ねに感謝しようと思えた今朝でした。

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