私なりの心の強さの秘訣

正直、私は強いと思われが

ちですが、誰と変わることなく、脆い部分もあります。
でも、強く居られる時とそうでない時の違いが私の中ではあります。
それがみんなそうだとは思っていませんが、最近、「なんでそんなに強く居られるんですか」と聞かれる事が多くなり、「強くないですよ」と言っても見せている私は強がりなので、「強い」んだろうなあと思うと、その違いが何かお役に立てるのかもしれないので、お話します。

いくつか違いがあります。

  1. 家族や自分の健康の影響
  2. 支えてくれる人が居ると感じているかどうか
  3. 周りの言葉からの影響

以上でしょうか。

1つ目は、自分が体調が悪い時というのは、身体と心の状態と言うのは、どちらが先か解りませんが、いづれにせよ同一だと思っています。なので、身体が元気でないと、ネガティブになったり、落ち込みやすいです。
ということは、身体を健康に保つ事を意識していくことで、心の元気や強さも維持できるのではないかと思い、膝の悪い私は、ヨガやピラティスをしています。
本当は水泳が好きなのですが、時間的に厳しくて、今はピラティスメインです。
あとは、身体を温める事です。冷やさないようにするという事も持病を持っている私には大切な事なので、身体を冷やさないようにしています。

二つ目は、正直、相手がどうかではなく、「有難い」って思える事なんだろうと思います。
孤独に感じる時、というのは、自分が貢献できてないなあと思うことが私の場合は多いです。そんな時には、誰かからの感謝や、存在承認(居てくれてありがとうというような気持ち)を受け取ると、元気になれるので、相手にばかり欲してしまい、自分が多くの方々の支えがあって、今があるということを忘れてしまう傾向があるように感じます。そうすると、一段と孤独感を感じたり、周りにどう思われているのか気にしてしまったりするように感じます。

そんなときこそ、支えてくれた人たちへの感謝を思い出したり、伝えたりすることは大切な気がします。
そうしている内に、「今までの恩返し、恩送り」って思える自分に切り替えられる私が居ます。
けれど、無理してそう思うのは、良くなかった体験もしているので、その時期には存在承認をしてくれる人たちと会ったり、敢えて「褒めて」とリクエストする。
たまには、甘えることも大切だと思いながら、結構ハードルが高いんですよね。

三つ目は、二つ目にも関係しますが、周りがどういう状況であるのか。どんな言葉をかけていただけるのかに影響されることってありますよね。
一期一会を大切にしている私が、「終了」という言葉には敏感になってしまったります。最近は、次のステージへ行かれるんだなと思える事も多くなり、終了が喜ばしい事に思える事もあります。
けれども、その言葉以上に気持ちが左右されるのは、両立の事です。
どの視点から見るかによって、見方は様々です。だからこそ、その時の一言が励みになったり、落ち込むきっかけになったりします。

良い言葉だけ拾うということが出来れば良いのですが、やはり「そんな風に思われていたのか」と信頼している人の言葉ほど衝撃を受けます。ただ、相手がどう思って伝えてくれたのかも考えると、有難い事もあるので、時間と共に消化はできます。

ところが、ちょっとだけ関わった人に言われる傷つく一言。つまり、自分も気になっている部分だから、棘が刺さったように突き刺さるんですよね。
そんな時には、素直に「痛い」と思って、一人の時に泣いてみたり、言える相手が居れば愚痴ってみたりすると、その後に冷静に戻れるのが早い気がします。
結局は自分が気になっている事なので、言った人のせいだと思うことは全くありません。自分が気になっているから「周りにもやっぱりそう見えてしまうのか」と知って衝撃を受けた後に、「でも続けているんだから、どうするか」なんだよなと思えるのです。

両立でいうと、子供が調子が悪い時に、仕事をしているのって結構後ろ髪を引かれます。でも、支えて下さる方々の協力を得て、続けていられるわけです。
けれども「今日も仕事なんですね」と言われる先生の一言。事実を伝えてくれているだけなのに、私が「こんな日も・・」と気になっているから、その言葉が棘があるように聞こえてしまう。
家族からの「休めないの?」の言葉。休める時には相手に事情をお話しているけれども、それが無理な時だからこそお願いしているんだけど・・・と自分都合で、泣けたり、言わないでと思ったり・・・。
葛藤の日々ですが、「仕事に出たらプロでありたい」と私の考えがあるから、平気なフリをして、後から凹む事だってあります。

けれど、100%解ってもらえることの方が奇跡、と思っていますし、何より私の気になっている所なんだなと思い、自分を見つめるきっかけにもしています。

で、結局私は仕事を辞められるのか。
辞めるという選択肢は私にはない。やりがいもありますし、今しかできないこともあります。それは子育ても一緒。
だったら、どちらも手に入れられる方法は何だろう?と模索する所に気持ちがシフトしていくのです。

こうして、強く見える。いいえ、強くなってきているのかもしれません。
ただ、ずっと強いわけではないんです。私にも感情の波も、弱い時もあります。人間ですもの。
まだまだ模索しながら、今しか出来ないこの模索も、楽しめるようになりたいなと思っています。

弱くなった時のキーワードは、この瞬間をいかに楽しむか。なのではないでしょうか。
昨日、書きかけで保存してしまい、投稿してないことに今気づきました。バタバタしているとそんなものですかね。

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