「差」について話す

男女差、年齢差、良く捉えられる仕事上の「差」
でも、細かく言えば「個人差」は多かれ少なかれあるのですから、それを大きく捉えたに過ぎないのではないでしょうか。

直ぐに相手を判断して、対応する時には大きな差を捉える事は非常に有効だと営業を経験した時に思いました。
が、人と人とが繋がっていく時には、やはり入り口は大きくても、「個人差」に目を向けないと、それ以上の付き合いはないだろうと思います。

そう言いながらも、「女性だから」という部分に振り回されて、一人でもがいて、苦しむことがないわけではありません。
けれども、それ自体、私が周りの目を気にしているからなのでしょうね。

何度もお話しているように、「何をしても言いたい人は言うんだから。」と言う事は解っているのに、自分も同じような考えを持っているからこそ悩むんですよね。

ここのところ、少し吹っ切れてきた事があり、やっと思考が悩んでいることではなく、「私」と「周囲」を分けて考えられるようになりました。
人が望むから、そうしなくては・・・ではなく、私がしたいからそうする。
そこに反発があったとしても、進もうと言う覚悟が出来た気がします。

それが、「個人差」です。
私は器用ではないので、ほんとに少しずつしか前に進めなくて、たまに良いと思った事が「後退している」という時もあります。でも、それでも人と比べなくても、私の歩み方がこれなんだ!と認めて、自分のペースでとにかく「続ける」ことで進み続けるのが私と思えるようになったのは、ここ10年位です。

他の人がすんなり出来ることに付いていけなかったり、自分の常識は周りの常識でなかった事を知ったり・・・。
周りの人と関わる事で、「差」を知り、知らなかったことを知るのは、正直恥ずかしい時もありました。でも、だから付き合いをやめるのか、そのことをやめるのか、それでも続けるのかは、私が決められるんですよね。

「差」は一度認めない限り、その先の判断はできない。
個人差であれ、見える部分の差であれ、違うって事を知って、その先を考えたらいいんですよね。

バーニャカウダー、食べ慣れてないし、二度漬けしちゃいました。
「ああ、周りの事考えたら、嫌かもねえ。私は平気だからやっちゃったけど。。これは礼儀として失礼よね。ああ、やっちゃった。次から気をつけなくちゃ。」

子供の事で悩んでいるのを友達Aさんに相談しました。
違う友達Bさんに「Aさん、不妊治療頑張っているんだって」と聞いて、「ああ、自分のことしか考えてなかったかも。聞いててどんな思いだったろうか。」と知りました。

逆もありますね。治らない病気を抱えているけど見せてないだけなのに、「なんで早く帰ろうとするの?嫌なの?」と言われると、「そうじゃないのに。これでも無理しているんだけど、無理しているって言いたくないから言わないだけなのに。」と思うことがあります。
「差」を解って欲しいけれども、その人の尺度でしか物事を見てくれないと、悲しくなることはありますが、「差」なのだから、相手を考えると、相手は元気なのだから、「まだ早いのに」と思うのは仕方ない事なんだろうなと、私も相手も尺度を知ろうとしないと、付き合い自体が辛くなるのではないかと思います。

差を大きく捉えると、「非常識」だったことも沢山あります。
個人差で捉えると、「気が利かない」ことも沢山あります。
けれども、そもそも「知らない」ことだとしたら、「知る」「差を認める」ことから始まるのではないでしょうか。

これからどの企業様も2ヶ月しないうちに、新入社員を迎えると思います。
「非常識だ」「気が利かない」と判断するのではなく、「知らない」かもしれません。
あなたにとっての「当たり前」は、周りにとっての当たり前なのかは解りません。

だからこそ、まず「差」を伝え合いませんか。
伝えて、その後どうするかは、お互いが考える事です。
でも、「最近の若い子は・・」で括らないで、ちょっと「差」について、話をしてみませんか。

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