理由は必要な時と必要ない時があるのかも

「どうしてか」「なぜか」「なんのためなのか」
理由をいつも求めてしまうけれど、本当に理由が必要な時と、必要のない時があるように思えてきました。

最近思うのは、潜在的に持っている「衝動」ってあるような気がします。「騒ぎたい」「動きたい」「中心に居たい」などなど、人によって違いはあれど、「なんで?」って言われたら、答えられないけど、そうしたいって言うものが・・・。

けれども、嫌な体験をしてセーブしたり、人間関係の中で我慢したりして・・・。
でも、本当は「衝動」だから出したくて、色んな事に理由をつけて、その衝動を引っ張り出してくるのじゃないかと・・・。

私も、人の役に立ちたいって言いながら、本当は「笑っていたい」だけなんじゃないかと。
人に喜んでもらえたら、一緒に笑える。それが嬉しい。
つまらない時もお笑いをボーッと見る。多少違うなって思っても、笑いたいから声をあげて笑う。
苦しい事があっても、何も起こらないよりも変化があるから、「楽しそう」なんて笑ってしまう。

まあ、上記3つの内、上二つは他人に迷惑をかけることでもないし、続けられるのですが、3つ目に関しては、何度も言われてきました。
「なんで、こんな苦しいと言いながら笑えるわけ?本当は苦しくないんじゃないの?」
「笑っているんだから、本気じゃないでしょ?」
「こんな時に笑顔って不謹慎だ!」
どうも周りを不快にしていると思うと、一つ目の「一緒に笑う」というのとのギャップが出てしまうから、何とか抑える。でも、笑いたいから笑っちゃうんです。

何でだろう?
ずっと理由を探しては、「ピンチをチャンスに繋げるのが好きなんじゃないか。」「変化が楽しいんじゃないか。」「成長のチャンスだからって思っているんじゃないか。」など考えては、後付けっぽいよなって感じていました。

でも、「今この瞬間を大切に」と思うようにしているうちに解ってきたのは、「ただ笑いたいだけなんだ」って事でした。
そこに理由はない。私の根っこの性質なのかもしれない。
そう考えたら、全てが納得できました。

そんな折、「怒鳴っちゃったんです。大した事でもないのに。」という人が、怒りをコントロールしたいと相談に来ました。
話を聞いていても、ストレスが過多なわけでもなさそう。かと言って怒りたいわけでもなさそう。
ふと、「ああ、騒ぎたいんだなあ」とその人の衝動なんじゃないかと感じたのです。

そこで、自分の話を少しして、「もしかして、騒ぎたいのでは?」と伝えると・・・。
身に覚えがあるようで、表情が明るくなり、「最近、歌ってない!」と。
声をあげて歌うのが好きなんだけど、車で歌っていた人を観た時に、「変な人だなあ」と思ったらしく、自分もそう見えるんじゃないかと止めていたそうなんです。
でも、今は日が短いし、観られる事もないだろうから、また再開しようかなあってお話されていて、凄く明るくなっていました。

「なんで怒っちゃうんだろう?」「どんなストレスをためているんだろう?」なんて考えていたけれど、違うんだなと仰った後の一言が残りました。
「自分が本当にしたいことを抑えると、どっかで出しちゃうんですね。
 したいことを抑えた事自体がストレスだったのかもしれないし、抑えてもどこかで出ちゃうもんなんですね。」

私も、その言葉が改めて自分に返された大切な言葉のように感じて、嬉しかったです。(ここでも笑う私)

仕事上などで、何のためなのか、目的を明確にするという事が板についてくると、ついつい頭で考えすぎちゃうのですが、衝動は自分が持っている根っこの資質。
だとすると、それを抑える必要はないし、何のためにそうしているのかを考えすぎる必要もないのかもしれないと、今は感じています。

もしかしたら、私が不謹慎な場で笑っていたら、笑いたい時に抑えていたんだなあと思ってください。
私自身は、どこかで出て、嫌な思いをさせちゃっているかもしれないけど、「笑いたい」んです。
それ以上でもそれ以下でもなく、良い悪いとかでもなく、それが私の特徴なんだなあと、出ちゃったものをコントロールするんじゃなくて、他の感情を出したい時に出せるくらい、普段から迷惑かけない所でいっぱい笑っておこう!そう思います。

理由探しが、必要ない事もあるんだと信じて・・・・。

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