隣の畑は青いのか

「隣の畑は青く見える」と言いますが、本当に青いのでしょうか。
あなたは、どう思いますか。

私は、正直に言えば、青いと思うこともあります。
けれども、青い畑にするための努力や苦労があったりしたんだろうと、今は思います。
また、本当は今も努力を続けられている結果が出ているのだろうとも思います。

なんだか自分の畑を良くすることよりも、隣の畑と比べてみている時間は勿体無いなと思います。

敢えて書いたのは、私の知人の仕事を「いいなあ。」と言う人がいらっしゃったのです。
でも、知人は本当に見えない所で努力を積み重ねてきて、今があり、今の状態も続けたいけれどもいつどうなるか解らないからと、毎日少しの不安と、より良くしていかなければと、悩みながらも前に進んでいるのを私は知っています。

確かに、彼女の仕事は、傍目から見ると華々しく見える仕事です。
けれども、そうなりたいと何年も何年も下積みがあって、今になりました。でも、彼女はその部分を敢えて語るわけではないので、「いいなあ」と思われるのでしょう。まだ「いいなあ」だけなら良いのですが、「彼女のようになりたい」と、転職を考え始めていたのです。

私 「仮に思った以上に辛かったから、どうします?」
相手「その時、また考えます。」
私 「そうなんですか。その時考えるなら、今考えてみませんか。」
相手「えっ?!そんなに大変なんですか。」
私 「私が見ている彼女は、凄く努力の人です。多分今も沢山見えない所で努力をしているんじゃないかと思うんですよね。」
相手「そうなんですか?だったら、今の所で頑張っても同じだよね。今の方が一からじゃないわけだし。」
私 「そ、そうですね。」

私は、伺いながら、隣の畑が青く見えただけだったんだなあと思いました。
そうは言っても、たしかに解らなくはないです。いつも明るくて、楽しそうで、努力している様子も見せないから。
彼女もまた、周りの人に対して、「いいなあ」ということがあるほどです。

多分、お互いに隣の畑が青く見えているのでしょうね。
つまり、自分の畑を青くするしか方法はないんですよね。

さすがに、私は「凄いなあ」と思うことはあっても、「いいなあ」と思うことは減りました。
それでも、「いいなあ」と思う時には、自分が行き詰まっている時なのでしょうね。
行き詰まっている時こそ、隣の畑を見るのではなく、自分の畑としっかり向き合う時なのかもしれないなと、私は考えます。

あなたは、どう思いますか。

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