支えたくなる人とそうでない人

支えたくなるかどうかって、その人の振る舞いによって大きく変わるなあと思う出来事がありました。

先日、自分の夢を語り、今、こういう段階まできた!と目をキラキラ輝かせながら話してくれる人が居ました。
数年前になってしまいますが、私には珍しくお互いの夢を語る事、実現するためにどう動くかを扱ったセミナーをした時にご参加してくださった方でした。
その後の進捗という事でお話をしてくださったのですが、思わず応援したくなってきました。

それは、語ってくれた夢が、近づいているという事に対し、どれだけの事をしてきたのかが見えた事。これはセミナーで語った事を実際にされているのですが、それが「確実に進む方なんだな」と思わせてくださったこと。
そして、「周りに支えられて」「smilecoachさんのおかげで」など、周りへの感謝を口にされること。何より、自分がそこに関わらせていただいたんだあ、という喜びも加わり、「何か私にできることは他にあるかしら?」と思わせて下さったんです。

私なんてほんのきっかけに過ぎないですし、既にセミナーも本人が選んで参加されたわけですから、その時点で偶然というより、必然な気がしますし、私が関われた事は、彼女にとっては、通過点にすぎないと思います。
けれども、「おかげで」と言われてしまうと、正直嬉しい。岡にも手伝えることがあるかしら?と本気で感じました。

対照的に、夢に向けて進んでいるようなのですが、「そうなんだね」と聴きながら、「頑張ってるね」とは言えるのですが、何か手伝える事ある?とは思わないのです。
大きな違いは、夢は聞いたことがあるのですが、そのプロセスが見えない、語らないんです。
しかも、一人でこんなに大変なんだと強調されるのです。これだけ頑張っているから、夢には近づけているようだと話して下さるのです。

客観的に、すごいなあと尊敬もできますし、見えない努力があるのだろうなというのは、眼力というか、意思の強さのようなものも伝わってきます。
きっと夢は叶えられると信じられます。
でも、支えたいなあと思うには至らないのです。

「おかげで」という言葉がないからではないんです。周りの人への感謝がないように感じたのです。
「本当にお一人で頑張っていらっしゃるんですか」と伺っても、「はい。」と力強く語って下さいました。

でも、たまたまその方のお母様とお会いする機会があったのですが、凄く謙虚で、どちらかというと遠慮しすぎな程の方なので、「お子様凄いですね。」とお話したら、多分溜まっていた思いなんだと思いますが、どう支えてきたのかをお話下さいました。
その後に「でも、子供のためならと思うのですが、さすがに全く皆さんにありがとうと言えない子供を見ていると、勘違いも甚だしいと思うことはあります。だから、私は代わりにお礼を言って回るのです。」と。

ああ、お母様が感謝を伝えられているからこそ、この子はまだ夢を応援してくれる人を無くさないでいられるんだなと感じたのが正直な感想でした。

二人をたまたま近い時期に感じることができたので、一段とその差が明確な気がしました。少なくとも私の心に芽生える「応援したいなあ」という主観的な気持ちと、「頑張っているなあ」と客観的に感じる気持ち。

もちろん、後者の方は、応援して欲しいとも思わないのでしょうが、お母様が近くにいらっしゃらなかったら、どうなっているのだろうと思うと、少し不安になりました。
ちょっとお話しただけの方だったので、お母様の支えにはなりたいなあと思ってしまったのですが、ちょっと主観的な感想としては、支えたくなる人と、そうでない人には大きな違いがあるんだなあという事でした。

あなたは、どう思いますか。

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