言葉に見えない部分に何があるのか

「頑張った」と言っている人の話で、以前は頑張り方を変えてみるという事を話しましたが、受け取り側として「頑張った」けど「(頑張りが)見えない」という時にどう接するかも凄く重要だと思います。

「頑張った」と思っている人は、本当にその人のなかでは頑張っているんだと思います。頑張り方なのかもしれませんが、もう一つ考えられるのは、目に見えづらい部分で頑張っている事があるのではないかと言うことです。

特に両立をしている方というのは、一点から見ると、もしかしたら物足りなく思えても、両面をしっかりやろうと思って孤軍奮闘されている事ってあるように思います。
私自身もいつもその自我のコントロールと戦いながら、両立を模索している気がします。

なんだかんだ言っても、日本は「お母さんが子育てをするもの」という意識が強いです。熱が出ても、何かあっても、まず母親に連絡が入ります。
それが日本の慣習であるとしたら、それはそれで否定しなくても良いと私は考えています。というのも否定した所で、根付いている考え方を押し付けるだけだとしたら、それは「無理している」事に過ぎないからです。

それでも、仕事もちゃんとやりたい!家庭もちゃんとやりたい!と思っている人が、両立に対して悩む方なんだろうと思います。
起業をして環境を自分で作っていく方もいらっしゃいます。が、組織だと組織に合わせていくしかなく、その間をメリハリをつけて働いているのが現状です。

私自身が体験したのは、「仕事のためにスキルアップは不可欠」と感じた時に、だからといって「家庭は大切にしたい」と思ったら、自分の勉強時間がないんです。職場に居る時間は限られているから、集中して仕事をします。
帰ったら、家事育児が待っています。家事育児がちゃんとできないなら仕事をするな!と言われていたので、余計にちゃんとやりたい。
となると、寝る時間を削るしかなかったのです。

毎日睡眠時間を削ってスキルアップをしていたら、体が悲鳴をあげました。
突発性難聴・・・・。
娘の泣き声が聞こえない。仕事の電話が受けれない。
「私は何のためにここまでやっているんだろう」と涙が出てきたこともありました。

でも、必要とされることが嬉しかったんです。仕事が楽しかったんです。みんなと関われる時間が有ることが楽しかったんです。
それなのに・・・。
「無理しないで休んだら?電話も取れないしね・・。」
「子供も世話もできないほど何やってるの?仕事辞めたら・・・」
「それって頑張っているって言えるの?自己満足じゃない?」
ごもっともだけれど、頑張っている私にかける言葉なの?・・・・泣けてきた。

睡眠時間を削る以外の選択肢を持っていなかった私。
それ以外に選択肢を見つけようとしたら、あるにはあるけど、試すたびに失敗し、また睡眠時間を削る選択を・・・。

「頑張っているね」と言われるようになって、初めて「手伝おうか」と言ってくれる人達が現れました。
頑張ってよかったなと思う反面、この後に続く人達は、ここまでやらないと認めてもらえないのだろうか?と思うと、切なくなりました。

私は何とか乗り切れました。
でも、その道しかないのか?みんなこんな思いをしなくちゃ、助けてもらえないのだろうか?後の人のためにも、これじゃあまだ駄目。
認めてもらえるようになった今だから、これからの人達のために、何か試せる事をしてみようと思いました。

でも・・・・。
「あの人は頑張ってないから、応援に値しない」と、頑張っている基準が私になってしまったんです。
「じゃあ、病気をしないと頑張った事にはならないんですか。」
「両立って、気持ちのコントロールも含め大変なんです。自分の奥様がその人だったとしたら、どうなんですか。」
「頑張っているというのをどこで解るんですか。」
事ある毎に、周りにも抵抗しながら、見えてない所は本人に聴いてみないと解らないよね、という所までやってきました。

でも、会社も慈善事業じゃないんだよ。成果は要るんだよ。
「だったら、成果が出るように、でも働きやすい環境を模索すればいいんですね。」

売り言葉に買い言葉で、やっと導き出した「頑張った事を見せる」イメージ。
あとは、方法を見つけるだけ。

模索している間に、職場を離れる事にはなってしまいましたが、今でも企業様と関わる中で、模索し続けていますし、私自身も挑戦中です。

仕事は上手く見えてくると、家庭に何かが起こり、これでいいのだろうか?と新たな壁にぶつかる。そこまでしてなぜ働くのか。
正直、今は使命感のようなものもあり、働いています。
あるメンターに「smilecoachさんは、両立しながら講師としても、コーチとしても成功するモデルになってほしい。その先駆者となることができる人だ」とおだてられ、その気になっているだけかもしれません。
けれども、人に影響を受けやすい私らしく、その言葉を信じて続ける事を選んでいます。

正直辛い時も多い。一人で泣くこともあります。
でも、産んでくれた母が、いつもタイミングよく声をかけてくれます。「今が頑張り時よ」と。
頑張っている様子が見えているのでしょうか。
それは解りませんが、一人でも多くの人に、楽しく両立できますよ~と言えるような両立を模索したいと思います。

見えない部分は話すことでしか周りに伝わらない。
見えない部分は聞くことでしか周りから見えない。
お互いに、そんな会話をする時間を持ちながら、支えあえたらいいのにな。私は、そう思います。

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