育成は気長に軽く

イマドキの新人という言われ方をしてしまいますが、若手も変化してきていて、良い面も沢山ありますし、育成する立場の世代からすると、解らない事もあるかもしれません。けれども、根本は今も昔も変わらないんだなという気がします。

私達が育てられた頃は、先輩方がバブルがはじける前で、いつも忙しくされていて、育成にたっぷり時間を割いて下さいません。ですから、忙しそうな合間を縫って、わからない所は聞き、メモを取り、何度も同じことを聞かなくても良いようにしたものです。

景気が悪いと言われている現在では、人数が削減されてしまい、一人ひとりの業務が忙しくなっていて、昔も今も構図は変わらない気がします。

でも違うのは、学校教育環境がどうだったのかの違いはあるように思います。
私達40代の者達が学校教育を受ける頃は、一クラスの人数も多く、先生がひとりひとりに関わって下さる時間は少なかったです。また情報社会でもないので、先生の影響力は偉大で、上に学ぶという姿勢や、社会のルールに関しても指導をされたり、多少厳しくされないと大人数を統制するのが大変な時代。
規律・上下関係・厳しさ・大人数の中での社会のルールを教育の基盤として身につけていったように思います。

今は、一クラス辺りの人数も徐々に減ってきており、一人ひとりと関わる時間は多分私達の頃とは増えていると思います。そして、個の尊重も叫ばれる中、一人ひとりが主張を早くから表に出せるようになってきているような気がします。指導も然ることながら、ある部分で家族のような存在である先生が増えていらっしゃっている気がします。(あくまでも私の感覚ですが。。。)また情報も氾濫しているせいか、先生が絶対的な存在ではなくなってきている気がします。
協調・優しさ・対等・主張のようなものが、基盤として身についてきている気がします。

そんな環境が違っているのに、同じ育成方法で良いのだろうか。

多少の変化は必要なのではないでしょうか。
同じように時間がない中で、以下にそれぞれの良さを引き出してあげられるのか。

それには、厳しさになれてない人達に、急激な指導は負担に感じられてしまうので、育成の長期的な計画を見せる事も重要なのではないでしょうか。
その上で、少しでも早く一人前になりたいと思ってくれる人が、どうすれば一人前になれるかのプロセスが見えるものがあれば、本人たちも安心して、気軽に挑戦していけるような気がします。

敢えてこの話を今日しているのは、環境が違うのに同じアプローチは合わないけれども、根本的には何も変わってないのだなと感じたからです。
登りたい山は同じ。でも、登り方が違う。というイメージでしょうか。

10代の子達と話していて、好きな子に告白する時、今はSNSなどを使って相手の気持ちを探って、OKそうだったら告白するけど、駄目だったら違う人を探すと話をしてくれました。
私達の時代は、言わないと解らない。
そんな所にも、もしかしたら打たれ強さを持った私達と、情報集めが上手な若い人たちの差があるんだなあと気付かされてしまいました。

同じ「告白」という行為も、全く違ったアプローチをするんですものね。
特に、そのことを感じた時に、先のイメージがあれば、彼らも動けるんだなという事を改めて感じることができました。
だから、長期プランで今は一人前じゃなくても、こういうプロセスを経て一人前になってね、と気軽に動けるようにしてあげるだけで、主張もできる彼らは、動きやすくなるのではないかと。

色々、考えさせられる週末でした。

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