必死になることが格好悪い?

若い人たちと仕事で関わらせていただいて、思わずシーンとさせてしまいました。
必死にやっている人を笑うからです。
私も必死です。だからこそ、自分が否定されたと思ってしまったのかもしれませんが、それにしても、何で努力を表現している人を笑うのか・・・。人として、それってどうなの?必死になることってすごい事じゃないの?

価値観の押し付けになってしまうかもしれないのに、我慢できずに言ってしまいました。
「何で、必死にやっている人を笑うの?あなた達に◯◯さんを笑う権利があるのか!!」と。シーンと言う音でもしそうな程の空気・・。

気まずい・・・。耐えかねて、言葉を重ねました。
「私の価値観の押し付けかもしれません。でも、必死に関わっている私に、必死に応えようとしてくれている◯◯さんを私は素敵だと感じています。皆さんは、誰に対して笑っているんですか。」
少し感情的だったからか、静寂はそのまま続きました。

そんな時に、必死にやっている◯◯さんが、ポツリと言いました。
「smilecoachさん、私は気にしてないので良いです。みんなは、失敗するのが怖いし、一生懸命にやって出来なかったら、本当にもう出来ないって事になるからそれが嫌なんじゃないですか。私は、失敗してもドンドンできるようになればいいので。」

更に静寂は続く・・・。

でも、その人の言葉で、二人だけですが、動き始めたのです。
つられてなのか、あと二人。結局◯◯さん含め、五名が応えてくれようとし始めました。

静寂の中だからこそ、動くと響く・・・。
私の感情的な言葉よりも、◯◯さんの言葉が人を動かすきっかけになったようです。

格好わるいからではない。
失敗するのが怖い。必死になって出来ないと、本当に駄目と自分で認めることになるから怖い。それなら、私にも解る気がしました。打ちのめされる感覚を味わうのは確かに怖い。

それでも、やってみないと変わらない。
◯◯さんは、それを伝えてくれたんだと思いました。

私にも偏見があったのかもしれません。自分が否定されたと思ったのかもしれません。今となっては後付の理由に過ぎず、ただただ恥ずかしさだけがこみ上げて来ました。

私にできるのは、その時その時を精一杯やりつくすことだけ。
特別才能があるわけでもない、知識があるわけでもない、でも経験だけは沢山してきたし、これからも沢山していく覚悟はある。その経験を精一杯していくのが、私にできること。だから必死にやる。

これは誰のためでもない、自分のためなのに、それに応えてくれない人が居て、いちいち反応している自分が情けなかった。
これもまた私の体験だったのかもしれません。

必死になって、失敗もして、それをさらけ出すことが「リーダーとしてどうなの?」「講師としてどうなの?」「モデルとしてどうなの?」と言われることもあります。
けれども、私は体験に一喜一憂するのも、失敗から学ぶ体験も、凹んだ様子から復帰する軌跡も、必死になったからこそ語れる過去の自分だと思うようになってきました。
その私が居たから、今日の私が居るんですよね。

それが、誰かの役に立つのであれば、ドンドンさらけ出していけばいいと思いました。
必死にもがく様子も見せて良いんだと思いました。

それを受け取る側がどう受け止めても、そこまでは私は誘導できません。
伝えたいことが伝わらないんだとしたら、まだ未熟って事を私が知ればいいだけなんですよね。

格好悪いと言われても、怖がらず必死になれる◯◯さんを、そして自分を、しっかり認めることにします。

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