自分は自分だけのものではない

家族の事、お客様の事などを考えてみていると、ふと自分は自分だけのものではないんだなと感じることがあります。周囲の人達が居て私が居るということは良く思うのですが、もっと言えば、私は私のものではないと思うことで凄く視点が広がる気がします。

子供が今日までは学童保育もお休みでおうちで一緒にいます。その間は子供が優先になるので、自分のしたいことはあってもなかなかできません。今はやっとゲームの時間で12時までゲームをしているすきに書いています。とは言え、昨日から夏風邪をひいたようで、咳がひどくやはり自分の事に集中できません。かなり昔の私であれば、「短い時間だから私の時間もちょうだい」と思っていたのではないかと思います。しかし、子供と共に居る時間は子供を見守る私なんだと思っているのか子供との時間が逆に貴重でありがたいものだと感じます。
この違いって何だろう?と考える事が、家族の時間だけでなく、お客様との時間を過ごすときにもたまに不思議に思えていたことでした。

今を楽しんでいるんだ!
この言葉に尽きるのかもしれませんが、昔と今で変わったことの理由にはならなそうでした。そんな時に思い出したのが、お寺の住職さんの説法を拝聴した時の衝撃でした。

「あなたは自分を自分のものと感じているのでしょうが、それは違います。
 その体は借りたものであり、あなた自身はこの世から見たら空気のような存在。
 「無」ではないけれど、「空」なんですよ。
 あなた自身はあなた自身ですが、あなたのものではない」

まるで謎解きのように聴こえた言葉でした。私が23歳の頃に聴いたことですから、自分の中で分からない部分だけがつなげられて、複雑な謎解きにしてしまっただけなのかもしれませんが、その言葉はすごく私の心に刻まれた言葉になっていました。ことあるごとに「あの言葉の意味は何なんだろう?」と考えるようになりました。

以前の会社で、私から言えば理不尽だと思えることがあり、そのことにしたがっていることで自分が嫌になったことがありました。その時にふとその言葉を思い出したのです。私は自分を守るために理不尽と感じているのか、周囲の人のために理不尽だと考えているのか。その時の私は前者でした。
ああ、私が私の所有物ではないとしたならば、どちらのために私は動く事が私の活かし方なんだろう?と。そう考えた時にすっと理不尽だと思う気持ちが抜けていきました。自分のためではなく、周囲のために自分を生かすってすごく嬉しいと感じることができました。
そのことがきっかけになり、自分が変わっていったように感じます。ふと気付くと自分の存在をアピールするために必死になっていたなと気付くことも多々ありました。
それが悪いことだとも思いません。けれどもたまには「自分は自分だけのものじゃないんだよな」と思うと、その思いが誰に認めてもらわなくても、自分で自分の存在を認められることとして跳ね返ってきて、自分が自分らしく居られるようになったのです。

不思議でした。
自分は自分だけのものじゃないから、周りのために自分が出来る事を考えることが、結果として自分のあり方を示してくれている気がするのですから。

全て妄想なのかもしれません。しかし、心穏やかになったのはこんな考え方が自分に生まれたからなんだなと思えたので、ここに記しておきます。

あなたがあなただけのものでないとしたら、あなたはどうしますか。

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