やる気をどこに持つのか

最近、やたら「モチベーション3.0」という本のことを聴く機会が増えました。自分の手元には今日届くのですが、その話しの中で、私の中ではそれって普通じゃないの?と思う事も言われていたので、ちょっと会社の事に置き換えて話してみたいと思います。

会社などで数値目標が示されて、その数値をおうことに必死になってしまうことがあります。けれども、本来はその数値は達成するための共通したゴールではあるけれど、その人にとって大切なものであることは少ない。達成感は味わえるけれど、むなしさも残る体験ってしたことありませんか。「何のためにやってるんだろう?」って。

ある時、自分で「何のためにやっているんだろう?」って後からむなしくなるなら、最初から意識できたらどうなるんだろうと考えました。
つまり、「自分にとって意味があることだとしたら、そのことがどんな意味を持つのだろうか」「達成できたら、自分は何か手にするものがあるのだろうか」を考えてみたのです。
そんな時にでてきたのは、毎回同じ言葉でした。「相手のためになれたことで、自分も相手も幸せを感じられる」ということでした。しかし、これは周りの人に聴いてみると、結構人によってバラバラでした。ああ、これを価値観って言うんだろうな。人によっては「地位をあげて周囲に自分の思う事を広げて行きたい」とか「お金を得ることで家族が幸せであること」とか他にも突き詰めていくといろんな思いがありました。
同じ場所で同じ数字を追っかけているのに、人を動かしている力はみんな違うんだなと感じたのでした。

まだコーチングを知らない頃にそう思って、周りの人、特に家族にはずっと何を大切にしているかを確認してきていました。そのことで転職をする選択をしたいと思った家族を心から応援することもできました。

今、コーチングを学び、子供にも関わるようになって、子供にはまだ価値観というよりは、小さな事だけれど、来週の旅行を思う存分愉しむために、宿題を終わらせてしまうことが身近な目標でした。
先ほどの言い方で伝えるとしたら、達成目標は宿題を終わらせること。価値や自分基準のものに関しては、旅行を思う存分愉しむこと。だったのでしょう。親である私達はその事を支援して、一緒に楽しい時間を過ごす事。なのかもしれません。家族の共通点は「愉しむ」なのかもしれませんね。

それぞれ違うモチベーションのあり方も大切にしたいものですね。

あなたが今いやいややっていることがあるとしたら、いやいやでも続けていることに肯定的な意味があるとしたら、それはどんな事ですか。
達成目標だけは明確なんだけれど、いつの間にか苦しさに変わっているとしたら、達成できたらあなたにどんな意味があることになっていますか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました