聞かれることが面倒になると・・・

自分でも勝手だなあと思うことがあります。
それは、「報連相をしっかりして欲しい」と言いながら、あまりにマメに伝えられたり、確認が多いと、「もういいから!」と、部下の報連相を自分から減らしてしまいます。にも関わらず、問題が起きた時には、「なんで早目に言ってくれないの?」と部下をせめてしまったり・・・。

上司も、部下に指示や指導をする以上、責任が発生するという事です。
当たり前の事なのに、なぜか自分本位になってしまう自分を感じてしまいます。

これは、部下ではなく、NPOの活動絡みですが、メンバーに加わって欲しいと依頼があり、加わったのですが、情報が少なすぎて、身動きがとれませんでした。
そこで、「もう少し、進捗もいただけないでしょうか。私がどう動いたら良いのか、基準も解らず、困っています。」とお話しをしましたら、「集団で仕事をするのが初めてで、失礼しました。情報共有をしてきますね。」との事。

お伝えして良かったと思っていたら、今度は、「ただいま日程について混乱中です。」などの進捗も入るようになり、「この情報は要るのかなあ。要らないよなあ。」と毎日、何通も届くメールにうんざりし始めました。

ただ、昔、最初に申し上げたような部下との間でのミスがあったので、今度は「情報が多い分には、取捨選択をすればいいから、受け取っておこう」と思うことにしました。そして、返信が必要なものには返信をするようにしながら、連絡を取り合えるようになりました。

多い分には、取捨選択ができるから、不足するよりも良いですよね。
但し、相手の負荷になってないかが心配になったので、「負担になってないですか。」と伺ってみると、はっきりは仰らないのですが、負担に感じているようでした。
そこで、どんな事に関する報連相が必要なのかについて、すり合わせをしました。

考え中で、数日中に回答が出るのであれば、回答だけでも良い。
情報提供側の取捨選択が難しい場合には、1日分まとめて連絡をするようにする。
緊急の場合には、「至急」という題名の前に一言を入れる。
など、お互いに話すことで、情報提供側に負荷にならなず、受け取り側も受け取りやすいものにしようと話し合いができました。

この話し合いをさせていただいた事で、「報連相の量」→「報連相の質」へと変化したように感じました。
最初の「量」があったからこそ、「質」について、具体的に話しができたと思います。

上司だった頃を振り返ると、「聴くことが面倒になって、量を減らしてしまったから、何が必要なのかを話し合う事もなく、選定することもできず、質まで辿りつけなかったんだなあ」と反省しました。
仮に、同じような場面があったなら、「量を減らせ」ではなく、「どのようなものは不要で、どのようなものが必要なのか。」「報連相の仕方の工夫はできないか」など、相手と共に、その時に応じた基準やルールを決めていく時間を取りたいと思います。

これから、その活動も私が報告や連絡をする場面が増えてくると思いますので、まずは「量」からになると思いますが、途中で見直しをしながら進めていきたいと思います。

あなたの報連相は、相手との間で、「しやすい」ものになっていますか。

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