叱るという事の本質

先日、とある研修講師が揃う場所に言った時に、「叱られたい若い人が増えているよなあ。」と仰っていました。
これは、本当なのでしょうか。

好奇心旺盛な私は、本人たちに真意を確かめたくて、何人かではあるけれど、色んな企業の研修先で聞いてみました。

すると、第一声は「叱られたいわけじゃない。」が大半でした。他にも「叱られたい人なんて居るんですか。」「えっ?誰達の話ですか?この世に叱られたい人なんて居ても稀ですよね。勘違いしないでほしい。」などでした。
では、なぜそう見えてしまったのかも聞いてみたくて、「仮に叱られても平気とか、叱られて有難いなど思う事ってなかったですか。」と聞いても、「ない」が大半。

ところが、中には、「そういえば、あります。自分のことなのに本気になってくれる人が居ると思えた時は、嬉しいです。」という応えが返ってきました。

なるほど!
「自分のために、本気で関わってくれる人」と感じられると、それが叱った時であっても、有難いと感じるのだと、判ってきました。
確かに、研修が終了した時に、「こんなに本気で関わって、本気で私のために叱ってくれた人は生まれて初めてです。ありがとうございました。」と言われた事があったなあと、思い出しました。

「叱る」事の本質を改めて考えさせられた気がしました。

「叱る」とは、「相手のために」「真剣に」関わっている事が、伝えたい内容と共に「相手に伝わる」事なんだと、結論付けるに至りました。

叱る場面はあるでしょうが、その場面で、相手に本当に伝わっているのでしょうか。
真剣だと伝わっているでしょうか。
相手のためだと伝わっているのでしょうか。
伝えたい内容も含め、相手に届いているのでしょうか。

叱られることが好きではないにしても、本気の関わりを若い人たちは求めているのかもしれませんね。

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