目的って目標よりも大切なんだな。

「使わない知識は毒」と教えられたことがあります。だからこそ研修などでも受け身ではなく、自分に使える部分は実践してみようとやってきました。あるとき、研修に参加して下さった方からまたある視点をいただきました。「アレンジして使うのは凡人。天才はそのままを実践する」と。それから時が経ちましたが、今思うこと。

それは、なぜ最初からアレンジするのか。「自分の今に合ってない」からアレンジする。だとしたら、自分をどう解釈しているという事なんだろう?人それぞれだけれど、「そのまま実践する」のに抵抗感があるからアレンジするんだものね。なるほどと思いました。

その後、時を経て考えてみると、「これを得たい」と思ってないときに入る知識は、ただ「これは自分にはないな」「なるほどすごいね。(自分には出来ないけれど)」なんて思っていることがあるんじゃないだろうか。気付くのは、「自分が足りない」と思う事ばかり。それが悪いわけではないけれど、「ありのままじゃ駄目なんだ」という思いだけが強くなってしまうのではないかと。
目的があれば、「この部分があれば成功できるんだ」「ここがあればいいのか」と何があればいいのかを捉えることができるのではないでしょうか。偏った考え方かもしれないけれど、目的があるときとないときでは、得るものが違うだけではなく、受ける感情も違うように思えたのです。

そう思いながら、自分の部屋の本棚を改めてみてしました。
目的があって読んだ本はそれらのいくつかは既に実践していて、私の体験へと変化しています。しかし、何となく進められて読んだ本は、出会いとしては最高の出会いをした本だと思えるのだけれど、感動したことしか覚えていなくて、実践には繋がってないような気がします。
ここにある本を実践したとしたら、どんなにすごいことになってしまうだろうと思うと、想像しただけで怖くなりました。家庭も仕事も健康も完璧に過ごせるようになります。心も失わず、人のために尽くし、観ても素敵な女性である。ここまで揃ったら、凄すぎでしょ。でも、きっと自分がずっと追い求めてきた理想なのでしょうね。
しかし、その中で料理は母に手伝ってもらい、心の部分は家族やコーチにも手伝ってもらってリセットする時もあり、似合うねと言われた服を買う事だってある。自分が全て完璧にこなすのではなく、周りの協力があって出来ていること。その中で自分が得意な部分や、これから自分らしく貢献するために必要なことを学んでいけばいい。
そう思ったら、要らない本も見えてきました。

自分にはどんな知識が居るのかは、何のために必要なのかという目的が大切なんだと分かった。今、家にある本の中で、本当は得たいのに、私には無理だと思ってアレンジすることさえ諦めていたものさえある。今、自分に必要だと思う知識をもう一度、身近にあるものから実践してみようと思います。

そして、私の「ああ、駄目だあ。何とかして欲しい」と思って、ただその気持ちを満たすためだけに買った本は、捨ててしまおうと思います。出会いを大切にする私にとって、これらの本を改めて見直す機会が出来てよかったです。

も少し、自分を信じて、自分のしたい事をしたいようにしてみようと思います。
知識はプラスのエネルギーに変えていこうと思います。

あなたは、もう要らないのに大切にしてしまっているものありませんか。
欲しいのに、我慢してしまっているものありませんか。

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