私見であっても伝えることも必要なんだあ

最近、政治に興味のない人が増えていると言われていますが、それは何故なのか。本当にそうなのだろうか。
真意は解りませんが、同じようなことは、すごく小さな組織でも起こるものなんだなと痛感しました。

昨日のことです。
講演を依頼され、実施したのですが、中小企業の経営者層が集まる場所で、しかも本当に代々経営をされていらっしゃったり、創業社長で風格のある方がいらっしゃったり、どちらかと言うと、私が講演をするのは身の程知らずではないかと思う場ではありました。

それ故に、言葉を選びながらも、2時間の講演があっという間と言っていただける程、真剣に聴いてくださいました。有難いことです。
そして、終了してホッとする間もなく、「質問がある方はどうぞ」「ご相談されたい方はどうぞ」というお時間に。

真剣に聴いてくださった方から見ると、聴いてみたいことがあったようで、非常に答えづらい質問もありました。
けれども、「私見ではありますが・・」とお断りした上で、お答えさせていただきました。
中には、今、ちょうど話題になっている「お家騒動について、smilecoachさんならどう考えますか。」と難しい質問もいただきました。が、「あくまでも私見ですが」とお断りしながら、お話すると、みなさんが「なるほどね。」「そうだよね。」「解る解る」「そういう考え方もあるのか」などと、口々に仰ってくださったのです。

そして、全てが終了した時に、何名かが感想を含め、お話に来てくださいました。
「規模は違うが、私の会社でも同じことが起こっていてね。勉強になりました。」
「もう少し、社員を信じようと思ったよ。ありがとう。」などなど。

私見と言うのは、考え方によっては、「違うモノの見方」を知る事なのだから、私見であっても伝えることが重要なんだなと感じることができました。

ある方に「経験も浅い私が申し上げて、お聞き苦しい点はなかったでしょうか。」とお尋ねしてみると、「社員だと、ついつい自分の一部になってしまっているから冷静に聴けないけれど、外部の方に言われると、俺は社員に申し訳ないこともしているのかな、と冷静に反省できたよ。『私見ですが』って言ってくれたからかもなあ。ほんと、ありがとね。なんか優しい気分になれたよ。現場に戻っても思い出すよ。ありがとね。」と。

自分の意見を押し通すのではなく、「あくまでも私見ですが」と申し上げてから、話させていただいた事も功を奏したようです。
そう思うと、マナーでもそうですが、最初の一言がその後の内容にまで影響するのですね。

昨日の体験から、周りを気にして、「この場ではこの位にしておこう」「この場では言わない方がよい」「私ならこうするのに」という事は口にしないものなのに、「私見ですが」と言って、別の視点として話をするのは、相手にも良いこともあるのかもしれないなと思い直すことができました。

組織の中で、ずっと我慢をして言えない事。それが組織を改善しづらくしているのかもしれません。
自分の意見は、視点の一つとして、話せる時に話していくことは必要なのではないでしょうか。

あなたは、自分の意見を言わないようにしてしまっていませんか。
自分の意見を言える場があるとしたら、それはどんな場ですか。
せっかくのあなたの大切な視点を、みなさんにプレゼントしませんか。

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