励まさなくても聴いてあげるだけでいい

昨日(2010年7月10日)は自分を投げてしまいたいという人の話を聴いてあげることになりました。けれども、どんな励ましよりも聴いてあげることの方が、相手にとっては嬉しかったようでした。

昨日、悲しさというよりも怒りを抱えている人が居ました。怒りがどこから来ているのだろう?自分はどうでもいいんだという言葉を聴けば聴くほど淋しくて、その人の存在は大切なんだよということを、何ども何度も心の中でつぶやきました。「そのままでいいんだよ」「価値ある人なんだよ」そんな思いをこめながら、ただただその方の話しをひたすら聴きました。
そのうちに、その人に変化が現れました。今にも人生投げてしまいそうな人が、ただ今の思いを吐き出しているんだというようになってきました。それは私の聴き方の変化なのか、相手の心の変化なのかはわかりません。けれども私はそう感じて、更に語らず聴いてあげました。「あげる」という表現をあえて使っているのは、私には冷静に効くだけしか出来なくて、どこかで同情しないで、共感だけできないかという一線を引く意味で、ちょっと立場を上においてみたのかもしれません。

そんな状態が延々2時間続いたときでした。
あれ?何の話をしたんだっけ。まあ、「どうでもなれじゃなくて、どうにでもするんだよな」という言葉が最後に出てきて、その人の中の分かって欲しいという思いや、関わる人達のことを話せただけですっきりしたんだと伝えてくれました。
更に付け加えていました。「もし励まされたりしていたら、反発しながら聞き、ここまで話せなかったかもしれない。聴いてもらえてよかった。

そう言ってその人との話しは完了しました。
そして、20分くらいしてメールがきました。
「そのままでいいんだよ」って言葉では言われてないけれど、そういわれていた気がしました。だから私は自分を認めてくれる人が居ることに気付けた。気付けたのはトコトン話させてもらえたからだと思う、ありがとう。
そういうメールでした。

励ましじゃないんですね。きっと励ましが効果をもたらす人も、場合もあると思いますが、感情も安心して出せる空間を造るために、ただひたすらその人への思いを載せて聴くだけ。そんなことを体験して感じました。
だから相手によるのでしょうが、今回の件で、聴く事の効果を感じたので書かせていただきました。

あなたには聴いてくれる人は居ますか。
あなたは人の話を最後までトコトン聴いてあげられていますか。

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