「忙しい」は嘘?

Facebookでも投稿したのですが、昨年までは「忙しいから書道なんてやってる暇がない」とずっとやれていませんでした。
けれども、「忙しいから」ってのは、違っていたのかもしれないと思うようになっています。

昨年2014年、父が他界し、お墓の場所は父が準備していたので、お墓を作る事になりました。
仏壇もお墓も、母や妹は考えてなかっただろうけれど、いつかは自分が準備することになると思って20年以上前からコツコツ貯めていたので、私が支払を任されましたが、妹達には内緒にして母に渡したのに、母が妹達に話してしまいました。

その後でした。「お墓を建てても、おねえの名前が残るわけじゃないから、父の墓石に刻む字はおねえ(私)が書いて。その方がお父さんも喜ぶと思う」と母と妹に頼まれ、必要に駆られて筆を持つことになりました。

年末から、筆と紙を準備し、とにかく毎日、凄い枚数の字を書きました。
本格的に筆を持つのはきっと15年ぶりでしょう。けれど、真っ白な紙に、一筆一筆を書いている間に、どんどん集中している自分にふと気づく事がありました。
毎日、忙しいはずの時間だったのに、2時間以上練習して、その後にやることをやる。

すると不思議なことに、集中力が増しているせいか、いつもよりもその後の「やること」が早く終わるのです。
「あれ?まだこんな時間?」と思うほど、短時間で終了しているんです。

1月3日に書いた墓石に刻む字を母や妹に委ねる事にしていたので、1月3日には終了したのですが、その後も筆を持つようにしました。
すると、やはり集中力が増します。
それだけでなく、少しでも良い環境で書きたくなるので、片付けも進むようになりました。

そこで、ふと気づいたのです。
「忙しいからやらなかったはずの書道が、反対に効率を上げてくれている。忙しいからやらなかったんではなく、やる気がなかっただけなんだろうな。」と。

「やりたいのにやれない」と言いながら、「良い筆が欲しい」とか「たたみが汚れる」「書く環境が作れない」「習いに行けない」「下手になった字を見るのが嫌」など、きっと心の奥底には、「やりたい」に勝る色んなやりたくない理由が隠れていたのでしょうね。

けど、やってみれば、良いことも沢山有ることは知っている。まさか集中力まで増すとは思っていませんでしたが、「忙しい」を理由にし過ぎていたんだなと思いました。現に、そんなに数十分、数時間が取れないほど忙しいわけはないのですから。

自分の弁護があるとしたら、下手にはなっていました。(笑)
その字を見るのは寂しくて、ブランクがあると戻ってしまうんだなという事を痛感しています。

同じように、書道を始めることで、日々の生活を変える部分があるはずだから、その変化が何かをやめる事に繋がったら、新たなブランクを作るのが私にとっては怖かったのかもしれません。
でも、実際にはじめてみたら、何も減らなかった。恐れている事は起こりませんでした。

だから、改めて言えます。
「忙しい」ってのは、見せかけの理由で、本当は「今を変えたくないだけ」なんじゃないでしょうか。

仕事もそう。
「◯◯やってくれない?」→「ええ、こんだけ忙しいんですから、これ以上無理ですよ~」
これも、今のやり方を変える気はありません。という意思表示。
言い過ぎだとしたら、今のやり方を変えるのが怖い。今のやり方を変えるって事すら考えてない。だけではないでしょうか。

自分の言い訳だったなと思ったからこそ、周りにとってはキツイ言葉に聴こえるかもしれませんが、それが私が今回の書道をすることで感じた事でした。

「忙しい」のは嘘ではないけれど、今までのスタイルに固執しています、って事なんだろうなあ。

そのことに気づかせてくれた母と妹達に感謝です。ありがとう。

あなたは、「忙しい」を理由にしてしまっていませんか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました