そこに愛はあるのか

人が叱ってくれているように思える時と、ただ怒られて見えるときって何が違うのでしょう?

ふとそんな事を思ってみると、「そこに愛はあるのか」という問いが投げられた。つまり「自分のために言ってくれている」と感じるか感じないかの違いが大きいと私は考えました。となると、その場限りの話しではなく、日々どう関わっているのか。毎日関わる人でないとしたら、どう伝えるのかによって、全く受け手の感情が変わってしまうという事ではないでしょうか。

受け手も人なんです。受け手の受け止め方次第で全く違ったものになってしまうからこそ、日ごろの関わりや、一つの伝え方も大変重要なんです。受け手に熱意や愛が伝わるかどうかですからね。

とある企業様でトップが数字を追い、頑張った人達へのねぎらいもないまま叱咤激励をしました。「この会社のために頑張れ」という暗黙のメッセージがひしひしと部下には伝わっていた。けれども、「会社のために」というメッセージは、部下にとってはどんな意味もなさなかった。沸き起こるのは「一言認めて欲しい。だってこの不景気に頑張って数字を出しているのに、それすら分かってくれないなんて・・・・。」そんな思いでした。落胆してしまい、会社に対する愛情は感じ取れても、部下に対する愛情は一切感じる事ができませんでした。

違う体験ですが、毎日あうわけでもなく、滅多に顔を合わさない上司。その人は最初は黙って部下の話を聞いていました。でも部下の視点が少々ずれている。しかも、その事に部下は気付いていない。意を決して上司は部下に伝えました。「あなたの考えは受け取れました。でもそれでは伝わってこない。ここの表現をこうしてみたらどうだろうか。」そこには、部下がどうしたら上手くいくのかを一緒に考えてくれた上司の姿があった。部下は話をじっくり聞いて、そのうえで自分がどうしたらいいかを伝えてくれたことに感謝をしたのでした。そして、結果を出すためにすぐに動き始めました。ここには「部下を思う気持ち」が込められているように感じたのでした。

自分の事や組織全体のことばかり考えてしまうと、その構成員には「愛」は伝わらない。
関わる部下の事を大切にしている人は、愛情を感じることができます。大切にするためにはその上司の思いがどこに向かっているのかをどう表現するのかが大切なんだと思いました。
「愛」と一言で書きましたが、「愛」を表現するには、その人を観察し、その人が受け取りやすい形で言葉を交わすことなのではないでしょうか。
厳しいかどうかではない、「誰のために」伝えているのかが大切であり、相手のためであるという事が伝わる伝え方であれば、人は厳しい言葉も受け取ることができます。

後者の例では、上司は部下の変化や一歩の成果を伝えようとまたその部下を見続けた。そして行動が起こったときに言いました。「頑張れよ」と笑顔で。
頑張っている人に対しては「まだ頑張れ」と言われるのは苦しいときもあるでしょう。しかし、その言葉はまず動いてみえている部下へのねぎらいの一言だと部下は受け取りました。部下は元気に「ハイ」と返事をして、上司のために頑張ろうと思えたのでした。

相手との関わりはその場限りではない。その前もそのあともしっかりその人を見ていると相手が感じるかどうかも大切だと思います。そのためにも行動した事に対するねぎらいも欠かせないのです。

真似できる形で書いてみましたが、要は「あなたのことを見ているよ」という思いが伝わるかどうかなのだと私は思います。それが「愛」の表現の仕方なのではないでしょうか。

具体的内容は書けないけれど、ニュアンスは伝わりますか。
前者と後者は実は同じ人なんです。それだけ時が経ち、上司自身も変化してきたのでした。
私ができるとしたら、その上司に「ありがとうございます」と伝えることでしょう。上司の変化も部下は見ているんだよという、上司に向けてのメッセージでもあります。

相思相愛でなければ、チームとしてはまとまりにくいです。組織は相思相愛が連鎖している状態がよい組織というのではないでしょうか。ちょっとしたお互いに対する「愛」が、相思相愛に出来るかどうかの分かれ目。
あなたは、「相手のために」叱っているのですか。それとも自分自身や組織のために怒っているのですか。

組織のためというのが悪いわけではないけれど、その中に構成される人が大切にされているかは大切なことだと思います。ちょっと自分を振り返ってみませんか。

誰でも上司やリーダーになっている瞬間はあります。家庭、会社、学校、組織での役割、など。
その場面であなたは「相手」を想っていますか。「相手」を思っていることをどう表現していますか。

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