相手の立場を考えるとはどうすることか

「相手の立場を考えて」という言葉を今まで安易に使っていましたが、昨日(2010年6月20日)の研修の中で、こういう事なのかと感じたことがありました。それを言葉にしてみます。

相手の立場に立って考えてみるというと、いつも思考で考えていました。きっとこう思っているだろう?考えているだろう?と。でもどこかで自分の都合の良いように捉えたり、決め付けているだろうと感じては居ます。本当にそうなんだろうか?それがいつも疑問でした。しかし、昨日研修を受けてみると、かなり感覚が変わりました。

なぜなら、人は知らないうちにその相手である人を無意識に観察しているものだと気付いたからです。
その人が目の前に居ると思ってみてみると、相手の様子が「こんな姿勢しているよな」「こんな表情だよな」と結構浮かんでくる事にビックリしました。
その後、その人を想像した位置にちょっと自分が移動してみると、不思議とその人になりきれてしまったんです。

私の場合は、苦手だと思って距離を置いていた相手になりきってみると、私のことなんて全然気にしてなくて、「あれ?私が勝手に、あの時の事を引きずっているだけなんだ」と発見。そうなると、「なあんだ。相手が気にしてないのに私だけ気にしていたんだあ」と急に楽になりました。

ずっと思考だけで考えていたときには、「あんたなんか本当は嫌いよ」と言われ続けているように感じていたのに、それは私が気にしているからそう思っただけで、相手の姿勢や態度まで想像してから、相手になりきってみると全く違う声になってしまいました。

結局これも想像じゃん!と思ったのですが、無意識で感じるものを形から表現してみると自然と言葉まで変わってしまう。こうした場合は、態度からなりきってみた時の方が、相手の思考には近いのだそうです。
相手の立場を考えるというよりは、相手の立場にたってみる(なりきってみる)んだなと感覚で感じることができました。
こうしてみると、私が気にして、負のエネルギーだから極力近づかないでおこう!なんて思っていたことも、勝手な私の解釈で、相手は全く気にしていなかった。そう思うと、これから私は近づくことも距離をおくことも自然に選択できるんだなと思えるようになったのです。
「なあんだ、最初から何もなかったんじゃん」なりきってみた人との関係を振り返ってみて感じることができました。自分のイメージが変わるだけなのに、人との関係性まで変わってしまうんだから驚きです。

こうしてみてみると、頭で考えてしまっていて、本当はシンプルな関係を敢えてややこしいものにしてみたり、気にしなくてもよいようなことを気にしてしまっているのは、自分なんだなと痛感します。
周りでもこうした人間関係を想像でおかしくしてしまっていることも多々在るんだろうなとも考えられます。
そんな時、ちょっと相手になりきってみませんか。姿勢や表情、声なども真似するくらいなりきってみると、自然と相手の思いがみえちゃうかもしれませんよ。

ちょっと不思議ですが、興味があったらお試しあれ。

あなたが苦手なあの人。なりきってみたら、何が見えますか。

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