優先順位は自分が決める

メリハリをつけようと思ってから、ブログの優先順位を下げてしまい、久々の投稿になりました。
が、改めて優先順位は日々変わるのだなと痛感しております。

仕事の時は仕事に集中。気を休める時には、気を休めることにしては見たものの、やはり体調が回復する様子は見られませんでした。というのは、気分的に気が張っている状況が続いているからでしょう。

しかし、その中で食事もできなくなってしまった父に話しかけながら考える事が沢山ありました。
後悔したくないから、時間を作って会いに行くたびに父に感謝を伝えることに続けています。
「昨日ね、こんな事があったよ。この中で、私はこんなことをしてきたと伝えたよ。考えてみたらお父さんに何度も言われてきた事の受け売りだね。ありがと。」
「先週ね、中学生の前でお話ししたんだよ。こんな私でも小さいころからの夢を叶えられたよ。ありがとね。」
行く度にそんな話しをすると、声にならない声で「そっか」って伝えてくれたり、目をうるませたり、口角が少しだけ上がったり・・・。

そう伝えながら、私は仕事の報告を喜んでくれる父も感じていました。だからこそ、半端には仕事しない。
きっとそんな気合が、仕事も、家庭も頑張ろうと、肩に力を入れてしまっているんだろうなと。実際に肩も凝るんですものね。

けれど、半端にやらないと決めてみると、今までだって「日々精一杯」「やれることの全てを出す」と思って仕事もしてきたはずなのに、それ以上のエネルギーを感じるのです。
「今、ここ」に集中するしかできないのに、今までは周りに少し気持ちを残していたのかもなと気付かされました。

そして、集中してみると、正直身体が悲鳴をあげることも。そんな時にも、今後のために休むことも優先できるようになりました。

意識してやっていたつもりでも、こんなに「今、ここ」だけに集中して居られたか。というと、そうでもなかったのではないかと改めて感じざるを得ませんでした。

今まで大切にしてきた定期的にやっていた研修も、一時休ませていただくこともこの数ヶ月、この仕事を始めてから初めてしてみました。
こんなことをしていてもいいのだろうかと、ふと浮かんでは、悩んだこともありました。
けれども、「今、ここ」に集中していると、その時その時の優先順位を変えたければ変えればいいという単純な事に気付かされます。やりたければやればいい。けれども、他にやりたいことがある場合には、無理せず自分が一番にやりたいことに集中するのもありじゃないかと・・・。

これは、多分仕事がやらされ仕事ではない自分らしい発想なのかもしれませんが、「どうしても~しなければならないこと」というのは、本当に自分でなければならないのかというと、そうでもないことが多いんじゃないでしょうか。
もしも、「自分が~しなければ」というのは、責任を果たしたいとか、迷惑をかけたくないなど、自分の選択によるものなんではないでしょうか。

今していることは、自分の選択によって決めている事。
その選択に迷いがあったり、やらされ感があるとしたら、それは優先させたい事が優先させられてないか、優先したくて優先したことを自分の選択であることだと認識してないだけに過ぎないのではないでしょうか。

優先順位は仮に仕事の中であっても、本当は自分が決めているのではないでしょうか。
ちょっと偏った見方なのかもしれませんが、あなたはどうでしょうか。

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