言葉って凄く大切なのだけれど、その裏側にある思いに耳を傾ける事って大切なんだなと思います。
私は、仕事の時には常に意識しようと、言葉の発し方も気をつけているのですが、プライベートになると、親にさえ「真面目すぎる」「正直すぎる」「自分の体調管理くらいできるようになれ」といわれるほど、包み隠さず言葉を使ってしまったり、体調によって攻撃的な言葉を使ったりするようです。
けれども、私自身は全く判ってないので、知らないうちに相手を傷つけてしまうこともあります。
けれども、逆に聴く側の立場になると、元々話好きな家庭で育ったので、人の話を聴く事が多く、言葉の裏側で発している感情も感じ取ろうとしていました。
表面的に怒っていても、「寂しいよ~」と言う事が言いたいんだろうと思うと、その相手の近くに居ようとしました。
同様に怒っていても、「違う所での怒りをぶつけているだけだな」と思うと、私を攻撃する言葉であったとしても、「怒りの矛先がこっちに向いただけだから聴いてあげよう」と思って、ただそこで聴いているか、自分が耐えられなければ席を外すかしていました。
職場であれば、「できています」と報告する部下の目線が、私と目を合わせたがらないと、「どこまで出来た?」と聴いてみる。するとあとすこしなんだけれど、途中であることも多かったです。部下としては、上司に良い報告したいものなあと思うと指摘するつもりもなく、「何時までにできそう?」と聞いていました。
結局、部下には冷静に言われる事自体が、言い訳する事を許されないようでキツイ、という事も後から聴いて知りました。
ふと、相田みつをさんの日めくりをめくると、今日17日はこんな文でした。
「きれいな玄関と床の間だけじゃ生活できねんだよなあ」
ここにどんな思いがあるのかは判りませんが、たまたま今日の私の思考状態だと、「上辺だけの言葉じゃ相手は見えないんだよ」というようにも捉えられました。
本当は、飾った言葉以外のドロドロした部分もあるよねって事かもしれないし、解釈は言葉がシンプルだからこそ、いろんな捉え方があるであろうけれども、今日の私には、「言葉だけじゃない部分をみよう」という事のように感じられたのです。
私がプライベートで接している人の気持ち、私は感じとれているのかなあ。
そして、私の言葉で、振り回してしまっている人は居ないのかなあ。
気をつけたいけれど、自分がスのままで居られる場所だからこそ、自分を出す事も大切にしたいけれど、やはり職場と同じように、人と人が関わりあうのだから、近くの人達にも話す時も、聴く時も気をつけなければならないのだろうなあ。
ふとそんな事を思いました。
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